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シェング・シャルケン : ミニ英和和英辞書
シェング・シャルケン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


シェング・シャルケン ( リダイレクト:チャン・シャルケン ) : ウィキペディア日本語版
チャン・シャルケン

チャン・シャルケンSjeng Schalken, 1976年9月8日 - )は、オランダリンブルフ州ヴェールト出身の元男子プロテニス選手。世界屈指の速度を誇る、強力な弾丸サーブを最大の武器にする“ビッグ・サーバー”タイプの選手である。自己最高ランキングはシングルス11位、ダブルス21位。ATPツアーでシングルス9勝、ダブルス6勝を挙げた。身長193cm、体重82kgの長身選手。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
== 来歴 ==
シャルケンは4人兄弟の2番目の子供として生まれたが、一番上の兄はダウン症候群を患い、下の弟は15歳の時に癌で亡くなっている。そんな家庭環境の中で育った彼は、子供の頃から壁打ちでテニスを覚え、1994年全米オープンでジュニア男子シングルス部門を制し、この年に18歳でプロ入りした。1995年にツアー初優勝を記録し、1996年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのオランダ代表選手に選ばれる。
シャルケンは、2000年ウィンブルドン3回戦でオーストラリアマーク・フィリプーシスと対戦し、最終第5セットではタイブレークを行わないため(すなわち、どちらかが2ゲーム勝ち越すまで試合を続行する)、当時の大会史上最多ゲーム記録となる「83ゲーム」と試合時間「5時間5分」の末にフィリプーシスが 4-6, 6-3, 6-7, 7-6 →「20-18」で勝利をもぎ取った。この試合が行われたウィンブルドンの2番コートは満席になり、入場できない多数の観客に取り囲まれ、場外からも見えるスコアボードの数字にどよめくほどの盛り上がりだったという。その3ヶ月後、シャルケンは日本の「ジャパン・オープン」で初優勝を飾った。
シャルケンの4大大会シングルス自己最高成績は、2002年全米オープン準決勝進出である。この1回戦で、シャルケンはフィリプーシスと対戦していたが、フィリプーシスが第4セット終了の時点で試合を途中棄権した。勢いづいたシャルケンは一気に自己最高のベスト4まで勝ち進んだが、準決勝でピート・サンプラスに 6-7, 6-7, 2-6 のストレートで敗れた。(サンプラスは続く決勝戦でアンドレ・アガシを破り、現役最後の試合を4大大会通算「14勝」の優勝で飾った。)2002年から2004年まで、シャルケンはウィンブルドンで3年連続のベスト8進出を記録した。ダブルスでは、2001年全米オープンの男子ダブルスでポール・ハーフース(同じオランダの選手)と組んでベスト4に入ったことがある。
チャン・シャルケンは2005年春から右アキレス腱の故障を抱え、2006年2月にベルガモで行われたチャレンジャー大会準決勝でシモーネ・ボレリイタリア)に4-6,6-4,5-7のスコアで敗れたのを最後に、翌2007年3月に30歳で現役引退を発表した。
オランダのプロテニス界には“ビッグ・サーバー”タイプが多く、1996年ウィンブルドン優勝者リカルド・クライチェクや、2003年全仏オープン準優勝者マルティン・フェルカークもビッグ・サーバーである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sjeng Schalken 」があります。




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