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鮮于フィ : ウィキペディア日本語版
鮮于フィ

鮮于 煇(ソヌ・フィ、朝鮮語:선우 휘、1922年1月3日 - 1986年6月12日)は、韓国小説家ジャーナリスト右翼活動家
朝鮮日報東京特派員を務めた鮮于鉦は息子である。

== 略歴 ==
1922年1月3日、平安北道定州郡に生まれる。父は自作農民。1943年京城師範学校を卒業すると、定州にあるクソン (구성) 国民学校で教鞭を執った。
朝鮮が解放を迎えると、1946年2月、北側の社会主義革命に疑問を持った鮮于は越南し、ソウルに住む。朝鮮日報社に入社する一方、1949年には韓国陸軍に入隊し少尉の位を得る。陸軍で朝鮮戦争を休戦まで戦い、1957年10月まで軍人として過ごす。1955年、『新世界』に投稿した「鬼神」が取り上げられて文壇にデビューする。1957年に『文学芸術』に応募した「火花 () 」が第2回東仁文学賞を受賞、軍人にして小説家となった。軍を退役すると1958年、『韓国日報』論説委員を経て、1961年には『朝鮮日報』論説委員、1963年に『朝鮮日報』編集局長を務めるまでになる。その手腕は朴正熙軍事政権下において金大中拉致事件を韓国のマスコミで初めて取り上げるほど大胆なものであった。1986年6月、KBSの製作する朝鮮戦争の番組を収録した後、12日、釜山脳溢血のため死去した。
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