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魚津城 : ウィキペディア日本語版
魚津城[うおづじょう]

魚津城(うおづじょう)は、富山県魚津市にあった日本の城平城)。別名、小津城、または小戸城。松倉城の支城のひとつ。天正10年(1582年)6月の本能寺の変直前の魚津城の戦いの際、柴田勝家率いる織田軍が攻囲していた城として有名。
== 歴史 ==

伝承では、建武2年(1335年椎名孫八入道によって築城されたという。戦国時代に椎名康胤上杉氏から離反すると、椎名氏を追討に出た上杉軍の手に落ちた。以後上杉氏の越中支配における重要拠点となり、河田長親が長く城代を務めた。天正10年(1582年)の魚津城の戦いで織田軍と上杉軍が凄まじい攻防戦を 繰り広げた。
しかし、直後に本能寺の変の報が届いたため、織田軍は撤退し、すぐに上杉軍が奪回した。その後、天正11年(1583年)に態勢を整えた佐々成政により再び攻囲され、城将須田満親は降伏して開城し、上杉氏による支配が終わった。成政の没落後前田氏の治下では青山吉次などが城代を務めたが、元和一国一城令により廃城となったとみられる。
跡地は現在大町小学校および裁判所などの敷地となっており遺構は殆ど残っていない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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