翻訳と辞書
Words near each other
・ 高恩洪
・ 高恭之
・ 高悪性度粘表皮癌
・ 高惜冰
・ 高惜氷
・ 高感度
・ 高感度コリメータ
・ 高感度フィルム
・ 高感度地震観測網
・ 高感度地震計
高慎
・ 高慢
・ 高慢さ
・ 高慢ちき
・ 高慢と偏見
・ 高慢と偏見 (1940年の映画)
・ 高慢チキ子ちゃん
・ 高慶汰
・ 高懸雄治
・ 高成寺


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

高慎 : ミニ英和和英辞書
高慎[こう しん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 

高慎 : ウィキペディア日本語版
高慎[こう しん]
高 慎(こう しん、497年以後〔兄の高乾は、497年に生まれた。〕 - ?)は、中国南北朝時代の官員・政治家。北魏東魏西魏を渡り歩いた。高乾の弟。は仲密。本貫渤海郡蓨県。
== 経歴 ==
高翼の次男として生まれた。若い頃から経書や史書を渉猟して、兄弟たちとは志向が異なっており、そのため父親に偏愛された。531年滄州刺史・東南道行台尚書に任じられた。532年光州刺史に転じ、驃騎大将軍・儀同三司の位を加えられた。そのため政策は厳酷で、官吏や民衆を苦しめた。533年、兄の高乾が死ぬと、高慎は州を捨ててひそかに高歓に帰順しようとしたが、孝武帝の命により青州でその帰路を絶たれた。高慎は間道を通って晋陽に到着し、高歓の下で大行台左丞となり、尚書に転じて、威権をふるった。安州が高歓に従わなかったので、高慎が行台僕射となって安州を平定した。537年侍中に任ぜられ、開府の位を加えられた。
538年兗州刺史として出向した。まもなく御史中尉として召されると、御史を任用するのに、親戚や郷里の者たちを情実で任用したので、高澄に改選された。高慎の前妻は吏部郎中の崔暹の妹であったが、高慎に捨てられて離縁した。崔暹は高澄の信任を受けており、妹に対する仕打ちのために高慎を敵視した。
高慎の後妻の李昌儀は李徽伯の娘で、容姿に優れ、聡明で読み書きができ、また馬術が得意だった。ただ、彼女は高慎が沙門の顕公と夜毎に語らうのを厭い、顕公を殺害させるような嫉妬深い面があった〔『北史』巻31 列伝第19「慎後妻趙郡李徽伯女也、艶且慧、兼善書記、工騎乗」。〕。ところが、高澄が美貌で知られた李昌儀に関係を迫るという事件が発生した。李昌儀が抵抗しため、彼女の服はすべて破られた〔『北史』巻31 列伝第19「文襄聞其美、挑之、不従、衣尽破裂」。〕。
高慎は高澄らに対する恨みが積もって崔暹を弾劾したが、その内容の多くはでっち上げであった。高歓の譴責を受け、不安がつのった高慎は、北豫州刺史として任地に赴くと、武牢に拠って西魏に降伏した。邙山の戦いのとき、高慎の妻子も西魏に亡命しようとしたが、道中で捕らえられた。高歓は高氏一族の勲功を思って、高慎の子孫のみを罰するにとどめた。高慎は西魏の侍中・司徒となり、太尉に転じた。
李昌儀は高澄により恩赦を受け、高澄に側室として再婚した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高慎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.