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高平陵の変 : ミニ英和和英辞書
高平陵の変[こうへいりょうのへん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [みささぎ]
 【名詞】 1. imperial mausoleum 2. Emperor's tomb 
: [へん]
  1. (adj-na,n) change 2. incident 3. disturbance 4. strange 5. flat (music) 6. odd 7. peculiar 8. suspicious-looking 9. queer 10. eccentric 1 1. funny 1

高平陵の変 : ウィキペディア日本語版
高平陵の変[こうへいりょうのへん]

高平陵の変(こうへいりょうのへん)は、中国三国時代249年に、国内で起きた大規模な政変。司馬懿はクーデターを起こして曹爽一派を誅滅し、魏国内においての権力をほぼ完全に掌握した。この事件をきっかけに、司馬一族の権勢は皇帝を凌ぐほどになっていき、実質的に王朝の基礎を作る事件となった。正始政変とも呼ばれる。
==事前の経緯==
239年1月、病によって重篤に陥っていた魏帝曹叡は、有事に備えるため次代の帝となる曹芳の補佐役をどうするか決める必要があった(曹芳は当時8歳であり、まともに政務を取り仕切れる状況ではなかった)。曹叡は当初曹宇(曹操の第9子であり、曹叡の甥に当たる)を大将軍に任じ後事を託そうと考えていたが、劉放孫資ら側近の反対を受け、最終的に曹爽(曹真の長男)と司馬懿の2人を曹芳の後見人として立てることとした。
その後まもなく曹叡は崩御し遺体は高平陵に葬られ、予定通り曹芳が後を継いだ。政務に関しては曹爽と司馬懿が取り仕切ることとなり、「剣履上殿(剣を帯び、靴を履いたままの昇殿が許される)」・「入朝不趨(朝廷内で小走りに走らなくとも咎められない)」・「謁讚不名(皇帝に目通りする際に実名を呼ばれない)」と言う3つの特権を与えられた。曹爽は、初め司馬懿に対して父親に等しい態度で友好的に接していたが、側近である何晏らの提言で権力を独占しようと画策するようになる。曹爽は帝に進言し、司馬懿を太傅(三公より地位は上であるが、政治的実権はなく、事実上の名誉職であった)に祭り上げ、彼の権力を押さえ込もうとした。しかし、長きにわたり数々の功績を挙げてきた司馬懿の軍事的実績は重く、その軍権は据え置かれたままだった。また、司馬懿は依然として対蜀漢の最前線を任されていたため、曹爽が主に内政を執り行い、司馬懿が主に軍事を管轄する形になった。この時点では、表面上は曹爽が年輩の司馬懿を敬っていたため、両者の間に大きな軋轢は見られなかった。
244年(正始5年)、曹爽は大功を立てるため蜀漢への侵攻を企てる。司馬懿は失敗を予期して強く反対したが、曹爽は蜀漢出兵を強権的に行い(興勢の役)、結果的に大失敗に終わり多くの損害を出した。そのため、これ以降両者の対立が表面化することとなった。
曹爽は政治的権力をますます自分一人に集約させるようになり、次第に帝を蔑ろにするようになった。247年5月、司馬懿はこの状況に身の危険を感じ、持病の悪化と高齢を理由として政務に一切関与しなくなり、自邸に引きこもるようなった。曹爽と何晏は司馬懿が隠居したと聞くと、さらに専横を強め、黄門張当と密かに共謀して国家転覆を企てんとしていた。司馬懿もまた、密かにこの状況に対し備えをなそうとしたが、曹爽とその取り巻きの者たちも司馬懿への警戒を怠らなかった。
この時期曹爽一派の一人である李勝は、ちょうど荊州刺史に就任しようというところであった。李勝は曹爽の命を受け、別れの挨拶という名目で司馬懿邸を訪れて様子を探ろうすると、司馬懿は病が重いふりをして李勝を欺こうとした。李勝が司馬懿と対面すると、司馬懿は下女二人に両脇を支えられ、衣服はずり落ち、粥を食べようとしてもみなこぼれて胸元を濡らしてしまうというありさまであった。また、司馬懿はわざと李勝の言うことを聞き間違えたり、自らの容態について弱気な発言を繰り返したりした。そのため、李勝は司馬懿がもう長くは持たないであろうと確信した。李勝は司馬懿のもとから去った後、曹爽に事の次第を報告し、もはや警戒する必要性はないことを告げた。このため、曹爽らは司馬懿に対する警戒を解き、備えをなさなくなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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