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高平哲郎 : ミニ英和和英辞書
高平哲郎[たかひら てつお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

高平哲郎 : ウィキペディア日本語版
高平哲郎[たかひら てつお]

高平 哲郎(たかひら てつお、1947年1月3日 - )は、日本の編集者・放送作家評論家劇作家演出家一橋大学社会学部卒業。東京都高円寺出身。晶文社を創立した小野二郎義兄にあたる。
== 経歴・人物 ==
1953年学習院初等科の試験に落ち、武蔵野学院小学校入学高円寺産婦人科を営んでいたが大の映画好きで、高平の少年時代、一家は毎週末には銀座新宿映画館に出かけて、映画を見ていた。裕福な家庭であったため、1953年の日本テレビ開局の年にはすぐテレビが購入され、高平は落語や演芸も好きとなる。
1956年から始まった「東宝ミュージカル」開始とともに、小学生のうちから通いつめ、中学2年生でアチャラカ喜劇の集大成作品『雲の上団五郎一座』を見る。小学5年生の時に姉が小野二郎結婚。小野は高平を実の弟のようにかわいがり、安藤鶴夫興津要の落語評論集を買ってくれるなどした。
武蔵中学校・高等学校景山民夫加藤芳一と知り合う。加藤は高平の弟子的存在のライター・放送作家となった。中学高校時代にあこがれていたのは、植草甚一古今亭志ん生立川談志青島幸男永六輔赤塚不二夫だった。志ん生以外の人物とは、後に出会うことになる。2年浪人して一橋大学社会学部に入学。在学中、義兄の小野に誘われて晶文社の嘱託として編集に従事し、小林信彦の著作等を担当する。
南博のゼミで、卒論『日本のジャズ史』を提出して大学を卒業した後、博報堂に入社しコピーライターになり、晶文社の嘱託編集者も並行して行っていた。1973年博報堂を退社。雑誌「ワンダーランド」(晶文社)・「宝島」(晶文社からJICC出版局へ)創刊に携わった後、1975年に独立して、編集プロダクション「アイランズ」を設立。「VAN99ホール」を退社した北吉洋一劇団東京ヴォードヴィルショーの舞台監督の谷口秀一らを入社させ、奥成達らと「小説マガジン」の編集、執筆を行う。その後、奥成達と高信太郎に、新宿歌舞伎町の「ジャックと豆の木」(通称「ジャック」)というスナックに連れていかれ、タモリ密室芸(奥成達が命名)を鑑賞し、馬鹿騒ぎをする。「ジャック」の常連には他に、長谷邦夫山下洋輔森山威男坂田明三上寛長谷川法世南伸坊らがいた。
1976年、「ジャック」の客たちと盛り上がって企画した「チャンバラトリオを銀座で見る会」を開催。司会はタモリ、解説は高信太郎であった。やがて、タモリが芸能人としてデビューしたことで、テレビコメディ番組構成作家となる。
1977年から、タモリの初期のLP「タモリ」「タモリ2」などをプロデュース。また、1978年には「全日本満足問題研究会」(赤塚不二夫、赤瀬川原平、奥成達、高信太郎、長谷邦夫)のLP「ライブ・イン・ハトヤ」もプロデュースした。以降、タモリとの関係は深く、デビューから片目にアイパッチを付けて、長寿バラエティ番組森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系列)やトークバラエティ番組『今夜は最高!』(日本テレビ系列)に出演していたタモリに、「特徴のない顔だ」と言い、レイバンサングラスを奨めて掛けさせたのは高平である。以来、サングラスはタモリのトレードマークとなっている。
1978年、初めてニューヨークへ行く。以降、毎年のように訪れて、本場のショウ・ビジネスの世界に触れる。劇団東京ヴォードヴィルショーの脚本なども執筆。他にも多数の舞台作品(主にミュージカル)を、作・演出しており、近年は舞台での活動が主となっている。なかでも、2002年から公演しているタップダンス・ミュージカル「ダウンタウン・フォーリーズ」シリーズは、人気作品となっている。
映画演劇の著述・インタヴュー・聞き書きを行い、1984年取材した千葉真一の熱狂的なファンにもなっている〔。1988年からJR東日本の雑誌『TrainVertトランヴェール)』の責任編集を3年間つとめた。1994年には中野サンプラザで行われた「筒井康隆断筆祭」の構成を担当した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高平哲郎」の詳細全文を読む




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