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高定 : ミニ英和和英辞書
高定[こう てい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 

高定 : ウィキペディア日本語版
高定[こう てい]
高 定〔『華陽国志』南中志では「高定元」。(こう てい、? - 225年)は、中国後漢末期から三国時代にかけての人物。益州越嶲郡(益州南部)の出身。タイ系叟族の王である(「後主伝」)。『三国志志や『華陽国志』南中志に記されている。
== 生涯 ==
新道県を包囲したが、李厳が援軍に駆けつけたため敗走した(「李厳伝」)。
223年、建寧郡の有力者である雍闓と通じ、太守を殺害したり捕縛するなど反乱を起こした。同年夏には牂柯郡太守(又は郡丞)の朱褒も雍闓に呼応した。このような状況下、高定も再び越嶲郡で反乱を起こし、太守である焦璜を殺害したという(『華陽国志』)。
呉より永昌太守に任じられた雍闓と共に、蜀漢の永昌郡に侵攻したが、呂凱達が人心を統率し郡境を閉ざしたため、落すことができなかった(「呂凱伝」)。
225年春3月、諸葛亮が南征の軍を起こすと、雍闓との間に確執が生じ、高定の部下が雍闓を殺害した(「呂凱伝」)。
高定は諸葛亮・李恢が率いる討伐軍と戦うも再び敗北、捕らえられて晒し首に処された(『華陽国志』)。
越嶲郡は一時平定されたが、諸葛亮の帰還後まもなく反乱が再発し、その度に李恢が鎮圧にあたったという(「李恢伝」)。
越嶲太守は龔禄という人物が殺害されて以降、任地に赴くことすらできず統治がままならない状態であったが、張嶷が太守の時代に蜀漢の支配が回復した(「張嶷伝」)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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