翻訳と辞書
Words near each other
・ 青山オフィス
・ 青山カイト
・ 青山ザ・タワー
・ 青山スパイラルホール
・ 青山セントグレース大聖堂
・ 青山ダム
・ 青山テルマ
・ 青山テルマ feat.SoulJa
・ 青山デザイン専門学校
・ 青山トンネル
青山トンネル事故
・ 青山ドッポ
・ 青山ナガレ
・ 青山ハル
・ 青山ハープ
・ 青山パークタワー
・ 青山ビル
・ 青山フラワーマーケット
・ 青山ブックセンター
・ 青山プロ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

青山トンネル事故 : ミニ英和和英辞書
青山トンネル事故[せいざん, あおやま]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あお]
 (n) 1. blue 2. green 3. green light
青山 : [せいざん, あおやま]
 【名詞】 1. (1) blue or green mountain 2. (2) grave 3. burial place 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事故 : [じこ]
 【名詞】 1. accident 2. incident 3. trouble 4. circumstances 5. reasons 
: [ゆえ]
  1. (n-adv,n) reason 2. cause 3. circumstances

青山トンネル事故 ( リダイレクト:近鉄大阪線列車衝突事故 ) : ウィキペディア日本語版
近鉄大阪線列車衝突事故[きんてつおおさかせんれっしゃしょうとつじこ]

近鉄大阪線列車衝突事故(きんてつおおさかせんれっしゃしょうとつじこ)では、1971年昭和46年)10月25日三重県一志郡白山町(現・津市)にある近鉄大阪線垣内(かいと)東信号所(現在複線化により廃止)付近の総谷トンネル内で発生した列車衝突事故について記す。
== 概要 ==
1971年10月25日15時37分頃、近鉄大阪線西青山駅 - 東青山駅(両駅は現在とは全く別の場所にあった)間の青山トンネル(現在は新青山トンネルが開通し、青山トンネルは廃止)東口手前200mの同トンネル内で、上本町近鉄名古屋行き特急電車(12200系12000系4両編成)114列車(主要駅停車の通称「乙特急」)が、自動列車停止装置 (ATS) 故障のため誤停止した。運転士はATS解除操作を行ったがブレーキが解除できず、停止地点は下り33‰の急勾配であったため、運転士は止むを得ず車輪に手歯止め(ハンドスコッチ)を挟み、各車輌の供給コック(ブレーキ装置からブレーキシリンダーにエアを供給するコック)をカットしておいて、ブレーキシリンダーのエアを全部抜くという非常措置(制動不緩解故障の際の基本手順通り)を行った。
ところが、列車停止を聞いて東青山駅から駆けつけた助役が、運転士との何らかのやりとりの後に手歯止めを外してしまい、運転士は供給コックのカット解除を怠って運転室に戻ってブレーキを解除した。その結果、列車は走り出し、また供給コックがカットされているのでエアの再充填も出来ず、ブレーキが効かない状態で連続33‰の下り坂を暴走した。
この時、当該車両の乗客は後部車両へ避難するよう指示をされていたことから、乗務員では手が下せない状態になっていたとみられている。東青山駅を通過し、15時58分頃東青山 - 榊原温泉口間にあった垣内(かいと)東信号場の安全側線を、推定速度120km/h以上で突破し脱線転覆、左カーブであったため本線の切り通しへ転落した。3両目以降は総谷トンネル入口付近の壁に激突して止まったが、先頭の2両が横転した状態でトンネル内へ突入し、直後に対向してきた賢島京都近鉄難波行き特急電車(12200系10100系18200系7両編成)1400N(1400K) 列車と正面衝突した。
これにより死者25名(1400Nの運転士・車掌と東青山駅助役の計3名含む)、重軽傷者227名〔ジェー・アール・アール発行の「決定版 近鉄特急」(1985年発行)では死者は同じく25人であるが、重軽傷者は288名との記述もある。〕を出す大惨事となった。
対処した助役や乗務員が死亡したため、助役や運転士を取り調べたり逮捕することも物理的にできなかったことから、供給コックをカットしたまま運転士が運転室に戻った理由や、手歯止めを外すに当たって運転士と助役の連絡状況などは解明できなかった。
なお、京都・難波行き列車は先頭5両が難波行き編成であったが、折しも京都で行われることになっていた医療関係者の学会のため、医師が後部の京都行き編成(18200系2両)に多数乗車しており、その医師等により応急治療が行われた。その模様は、事故現場に唯一直接辿り着くことのできた報道機関であったNHKテレビ取材クルーによって、全国に伝えられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「近鉄大阪線列車衝突事故」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.