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阿部知二 : ウィキペディア日本語版
阿部知二[あべ ともじ]

阿部 知二(あべ ともじ、1903年明治36年)6月26日 - 1973年昭和48年)4月23日)は、日本の小説家英文学者、翻訳家である。
==人物==
1903年明治36年)6月26日岡山県勝田郡湯郷村大字中山(現・美作市中山)に出生。父は阿部良平、母はもりよ。次男。中学教師であった父の赴任により、生後2ヶ月で島根県大社町に移り、さらに9歳のとき姫路市坊主町(ぼうずまち)に移る。旧制姫路中学(現・姫路西高校)を5年制のところを4年で修了し、旧制第八高等学校(現・名古屋大学)文科甲類(英文学科)、東京帝国大学(現・東京大学英文学科を卒業。兄・公平の影響で文学に近づき、短歌を学んで島木赤彦に接し、またトルストイチェーホフを愛読する。東京帝大時代にはじめての小説「化生」を大学の文芸部の雑誌「朱門」に発表し、その後、小説を中心に取り組む。1930年昭和5年)、27歳で雑誌新潮に「日独対抗競技」を発表してデビュー。同年、「主知的文学論」を発表、また結婚する。1936年発表の『冬の宿』が代表作となる。その後も小説や翻訳を発表し、明治大学教授として英文学を講じる。1941年白鯨』を初めて訳し、これが翻訳の代表作となる。1954年の長編『人工庭園』は、女子寄宿舎を描いて、「女の園」として木下恵介監督で映画化、キネマ旬報ベストワンになった。
翻訳も活発に行い、「世界文学全集」の編者として翻訳界の盟主の観があった。シャーロック・ホームズシリーズの訳者としても知られる(創元推理文庫)。「捕囚」の口述筆記中に、1973年昭和48年)4月23日、食道ガンのため死去。69歳。河出書房新社より、『全集』全13巻が出された。
戦後は「新日本文学会」に所属、世界ペンクラブ大会日本代表として各地の平和運動に感銘を受けるなど進歩的文化人としても活躍した。しかし戦時中は「無限の発展の可能性を包蔵するところの新世界創造の時機が来た。わが民族に与えられたこの使命は元より歴史の始原のときから明らかになっていたことではあるが、同胞は今更にこの偉大な自己発見の感動に打たれている」(昭和十七年七月『婦人公論』誌掲載「闇を追う光明の戦」)という戦争讃美や陸軍宣伝班員として敵性図書の検査・没収を行っていた。戦後イギリスの新聞記者に「イギリスの捕虜を殺す間接の手伝いをしたかもしれない」と書かれたことがある。暴露本『進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』には阿部について、つぎの副題が付けられている。

長男は阿部良雄フランス文学者、東京大学名誉教授)、次男は阿部信雄(1948-、美術評論家・元ブリヂストン美術館学芸部長)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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