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間島出兵 : ミニ英和和英辞書
間島出兵[まじましゅっぺい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 
: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [で]
  1. (n,n-suf) outflow 2. coming (going) out 3. graduate (of) 4. rising (of the sun or moon) 5. one's turn to appear on stage 
出兵 : [しゅっぺい]
  1. (n,vs) dispatch of troops 2. despatch of troops 3. expedition
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy

間島出兵 : ウィキペディア日本語版
間島出兵[まじましゅっぺい]

間島出兵は、満州間島(現・中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州)で日本軍朝鮮人中国人の活動家、匪賊馬賊に対して実施した鎮圧・掃蕩作戦である。
==背景==
1910年(明治43年)の韓国併合後、これに不満を持つ一部の朝鮮人は、日本の支配を逃れて近隣の中国(中華民国)及びロシア領内に亡命し、抗日宣伝や反日教育を行っていた。1919年(大正7年)、第一次世界大戦後の民族自決の機運の高まりによって、朝鮮各地で独立を訴える三・一運動(独立万歳運動)が起こると、これに呼応して、満州間島と呼ばれる朝鮮人居留地域において、独立軍と総称される朝鮮独立運動に関わる武装組織の活動が活発化した。これらの武装組織は、居留朝鮮人から金品や食料を調達したり、中国官憲やロシア過激派との協調を通じてその武力を蓄えていた。日本側は武装組織に関わる朝鮮人を「不逞鮮人」と呼び、中国側に討伐を要請したが、ほとんど成果が現れなかった。
1920年(大正9年)に入ると、ゲリラ事件が相次いで起こった。同年1月4日には「大韓国民会」を称する武装組織により、朝鮮銀行会寧支店から竜井出張所へ輸送中の朝鮮銀行券15万円が掠奪され、同年3月15日には朝鮮人3人により平安北道宣川郡泰山面面長及び面書記が銃殺され、同年5月には琿春「韓民会」の金雲瑞〔1912年10月に長水郡内真面事務所を襲撃して税金として徴収された現金を強奪、職員を拉致するなど複数の襲撃事件に関与した。1986年に大韓民国から建国褒章。〕率いる十数人により慶源西方で郵便配達員が襲われ憲兵が殺害された。
同年6月4日には、午前5時に穏城郡南陽対岸の三屯里から朝鮮人武装組織50人が豆満江を渡河して日本の警察憲兵及び守備隊と銃撃戦となり、武装組織は三屯里の民家に退却した。その際、日本側の損害はなく、武装組織は1人戦死、2人負傷し、2人捕虜、小銃2挺、小銃弾245発を押収した〔この戦闘で日本側が要した弾丸は 551 発。~「対岸不逞鮮人の行動に関する件」〕。事件の背後に有力な一団があるとみた日本陸軍の第19師団は、安川少佐率いる歩兵2個中隊による追撃隊を派遣、同年6月7日に汪清県鳳梧洞で家屋内から射撃する独立軍と4時間にわたり衝突し、日本軍の戦死者は1人、武装組織は遺棄死体33人以上を残し、捕虜8人を捕らえた。また、屋内にいた朝鮮人女性4人、子供1人が負傷した(鳳梧洞の戦い)〔「不逞鮮人団取締に関する件」〕〔この戦闘で日本軍が要した弾丸は以下。
*歩兵第73連隊三八式銃実包 1,282 発、三年式機関銃実包 608 発。
*歩兵第75連隊三八式銃実包 2,090 発。
「警備用彈薬補填一件」〕。この戦いを見るや上海大韓民国臨時政府は、「我が軍の大勝利」として図們江軽便鉄道占領説など誇大な宣伝発表を行っている〔○軽便鉄道占領 先キニ鳳梧洞大捷セシ後第三面大挙ヲ準備セシ我独立軍ハ○○戦線ニテ敵軍ヲ掃蕩シ敵ノ唯一ノ軍用交通機関タル会寧郡ヨリ○○○ニ至ル軽便鉄道四十余哩ヲ占領シテ敵ノ交通ヲ遮絶シ敵ノ増遣を邀撃セシガ○○地点ニ出勤セント大計画中ナリト詳報ハ次号ニ (大韓民国臨時政府が発表したとする文書の訳文(1920年8月6日)、「高警第二三六三一号」)〕。
逆に同年8月には、朝鮮総督府の嘱託により長江好率いる1,500人の馬賊柳河県三源浦の独立軍根拠地を襲撃し、その首魁20人余りを捕えて銃殺している〔「馬賊首領長江好の行動」〕。同年9月には、日本の要求により張作霖が孟富徳に独立軍討伐を開始させ、その退去命令により金佐鎮率いる北路軍政署の一団は安図県方面へ移動を余儀なくされた。
そうした中、同年9月12日、10月2日の二度にわたり琿春が馬賊等に襲撃され、日本領事館が焼失し、女性や子供を含む13人が殺害される事件が発生した(琿春事件)。同年10月7日、この襲撃を「不逞鮮人」によるとした原内閣は、居留民保護を名目に間島出兵を閣議決定し、中国側との折衝を開始した。同年10月16日には吉林都督奉天で結ばれた「日支協同討伐に関する協定」により、東支鉄道以南20里を除く東寧県琿春県延吉県汪清県和竜県の5県を日本軍が、それ以外の地域を中国軍が担当して、武装組織の掃討に当たることとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「間島出兵」の詳細全文を読む




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