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鎖国体制 : ミニ英和和英辞書
鎖国体制[さこく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くさり]
 【名詞】 1. chain 
鎖国 : [さこく]
  1. (n,vs) national isolation 2. exclusion of foreigners 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
国体 : [こくたい]
 【名詞】 1. (1) national polity 2. (2) National Athletic Meet 
体制 : [たいせい]
 【名詞】 1. order 2. system 3. structure 4. set-up 5. organization 6. organisation 
: [せい]
  1. (n,n-suf,vs) system 2. organization 3. organisation 4. imperial command 5. laws 6. regulation 7. control 8. government 9. suppression 10. restraint 1 1. holding back 12. establishment 1

鎖国体制 ( リダイレクト:鎖国 ) : ウィキペディア日本語版
鎖国[さこく]

鎖国(さこく)とは、江戸幕府外交に関する権利を独占し、日本人の出入国及び貿易を管理・統制・制限した対外政策である。ならびに、そこから生まれた孤立状態を指す。実際には孤立しているわけではなく、朝鮮王朝及び琉球王国とは「通信」の関係にあり、中国(明朝清朝)〔当初は倭寇対策として「海禁」政策を採る明・清政府の正式な交流許可はなく、福建省をはじめとする南方中国の商人の私貿易であった。1684年康煕帝により海禁が解除された後は寧波商人の貿易船が日本との交易を行うようになる。〕及びオランダ〔ネーデルラント連邦共和国、但し国際法上その独立をヨーロッパ諸国に承認されたのは、1648年ヴェストファーレン条約においてであった。さらにフランス革命戦争で本国がフランスに占拠され、1795年その衛星国バタヴィア共和国となり、併合を経て再独立したのは1815年であった。〕(オランダ東インド会社〔本国がバタヴィア共和国となっても、アメリカ合衆国の商船を雇用し、オランダの国旗を掲げて通商を行なっていた。なお、東インド会社自体は1799年に解散させられている〕)との間に通商関係があった。鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。一般的には1639年寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶ。但し、「鎖国」という用語が広く使われるようになったのは明治以降のことであり、近年では制度としての「鎖国」はなかったとする見方が主流である〔荒野泰典著『近世日本と東アジア』、東京大学出版会、1988年、など。〕。
なお海外との交流・貿易を制限する政策は江戸時代日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていた〔清は1684年に海禁を解いているが、その後も長崎貿易に類似した管理貿易制度を維持した(広東システム)。〕。
== 語源 ==
「鎖国」という語は、江戸時代の蘭学者である志筑忠雄(1760年~1806年)が、1801年成立の『鎖国論』」(写本)において初めて使用した〔志筑忠雄訳『鎖国論』(写本)、享和元年(1801年)〕〔検夫爾著、志筑忠雄訳、黒沢翁満編『異人恐怖伝』嘉永3年(1850年)刊、3冊(鎖国論を含む印刷された最初の本)。〕。1690年から1692年にかけて来日したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルが、帰郷後に日本に関する体系的な著作の執筆に取り組み、死後『日本誌』(1727年刊)が編集され英訳出版された〔''Heutiges Japan. Hrsg.'' von Wolfgang Michel und Barend J. Terwiel, 1/1, 1/2, München: Iudicium Verlag, 2001. (Textband und Kommentarband) (『今日の日本』[いわゆる『日本誌』]の原典批判版)ISBN 3-89129-931-1 。〕。そのオランダ語第二版(1733年刊)中の巻末附録の最終章に当たる『日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、又此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理』という論文を、1800年頃に長崎の元阿蘭陀稽古通詞であった志筑忠雄が訳出した。その際、あまりに論文の題名が長いことから、翻訳本文中の適当な語を捜し、『鎖国論』と題した〔大島明秀著『「鎖国」という言説 - ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史』ミネルヴァ書房、2009年〕〔ケンペルは上述の論文において、キリスト教的立場に反し、いわゆる「鎖国」体制を肯定する立場を採った。それは次のケンペルの背景を踏まえねばならない。まず、ケンペルは三十年戦争直後の荒廃した地方都市レムゴー(Lemgo)に生まれ、また、そこで遅くまで魔女狩りが残っていたことにより叔父が処刑された経験を持っており、戦争に対する思いやキリスト教に対する疑いの眼差しを持っていた。さらにケンペルは、各地を旅行することで比較文化の眼も養っていた。そのような背景を有するケンペルは、短期間の滞在(1690年~1692年)と限られた情報源の中で、厳格な処罰により〈平和〉が保持されていた第5代将軍徳川綱吉治世の状態を誤解したことから上述の見解(論文)が生まれた。〕。
この「鎖国」という語はその際の新造語であるが、本は出版されず写本として一部に伝わっただけで、「鎖国」という語も広まらなかった。
実際に「鎖国」という語が幕閣の間で初めて使われたのは1853年、本格的に定着していくのは1858年以降とされている〔荒野泰典著『海禁と鎖国』(荒野泰典、石井正敏、村井章介編『外交と戦争』、東京大学出版会、1992年所収)、P212-213〕。さらに一般に普及する時期は明治時代以降である〔大島明秀著『「鎖国」という言説 - ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史』ミネルヴァ書房、2009年〕。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鎖国」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sakoku 」があります。




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