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野沢秀行 : ミニ英和和英辞書
野沢秀行[のざわ ひでゆき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 

野沢秀行 : ウィキペディア日本語版
野沢秀行[のざわ ひでゆき]

野沢 秀行(のざわ ひでゆき、1954年10月19日 - )は、日本の男性ミュージシャン俳優東京都出身。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社SPEEDSTAR RECORDSの中のタイシタレーベル佐野日本大学高等学校を卒業。愛称は、毛ガニ
また、ロックバンド・サザンオールスターズのメンバーであり、パーカッションを担当している。
== 人物・略歴 ==
サザンオールスターズの最年長メンバー(他のメンバーより1 - 2学年上となる)であり、サザンオールスターズの最年長記録はメンバー最年長である野沢の年齢を基準にして記録される。愛称は、「毛ガニ」。なおボーカルの桑田佳祐は時々野沢のことを「野沢毛ガニ」、そこから転じて「ケガちゃん」などとも呼ぶ。愛称である毛ガニについては、『毛深いから』である。サザン名義の一部作品でも“野沢毛ガニ秀行”とクレジットされるほか、桑田のソロ作品に参加する際にはこの名義でクレジットされる。現在サザン名義の作品や公式サイトでは野沢秀行の名を用いる。関口和之曰く、「あまりにもその名前が強烈で、いい当てているために、毛ガニの本名をみんなが覚えたのは半年もあとのことである」〔関口和之『突然ですがキリギリス』122頁、集英社文庫、1991年〕。
1975年 - 1977年南佳孝のバックバンド・「マーブルヘッド・メッセンジャー」に在籍。
1977年に、大森隆志がアルバイトをしていたライブハウスに出入りする内に大森と面識ができる。同年、ヤマハ主催のバンドコンテスト『EastWest '77』にサザンの出場が決まった際、大森からの熱烈な勧誘があったが、野沢はセミプロであることを理由にあまり良い返事をしなかったという。野沢が参加しないままサザンはコンテストに出場しベストボーカリスト賞を受賞。デビューが決まる頃、急にサザンのレコーディングスタジオにも顔を出すようになり、その急激な態度の変化に当初メンバーは難色を示したが、最終的には『パーカッションが入れば、リトル・フィートと同じ人数・バンド編成になる』という理由で容認し、デビュー直前のサザンに加入。しかし、当時「毛ガニは音に対して非常にシビア」「”さすがプロのミュージシャンは違う”と思わずにはいられなかった」〔関口和之『突然ですがキリギリス』122頁、集英社文庫、1991年〕と思わせたのも事実である。
これらの経緯があり、1978年のデビューから30年経った現在でも「正規メンバーとしては認めていない準メンバー」、「デビュー直前にいつの間にかメンバーに入っていた」と度々ネタにされるなど、他の場面でも弄られる事が多い。また、一説によると野沢をメンバーにするか否かの『毛ガニ欠席裁判』が他のメンバー5人で行われたが、結論がいまだに出ていないという。
1996年に行われたサザンの全国ツアー「ザ・ガールズ万座ビーチ」、2003年のツアー「SUMMER LIVE 2003『流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜』」、2005年のツアー「Live Tour 2005 みんなが好きです!」は腰痛(ヘルニア)で休業。サザンのデビュー30周年である2008年も、腰を含めた体調が本調子ではないとの理由で、三沢またろうを代役に立てテレビ番組やライブへの出演は控えることとなった。同年のライブ『真夏の大感謝祭』でも腰痛のため欠席すると思われていたが、中盤の「I AM YOUR SINGER」で登場、5人でダンスを披露し、アンコールの「勝手にシンドバッド」以降パーカッションで参加した。ここでは自ら「正式準メンバー」と名乗っている。
サザンの中ではそのキャラクターを活かしてお笑い担当のような役割を果たしている。
* 1982年第33回NHK紅白歌合戦に出演した際は、後半楽器の伴奏をせず扇子を持って桑田とひしめき合うパフォーマンスを行った。ちなみに、同年のライブ「愛で金魚が救えるか!!」でも同曲で女装し、桑田の横で踊っている(2004年DVD『ベストヒットUSAS』に収録)。このほかにも、『平和の牛歌』でメンバーと離れての着ぐるみを着たり、1999年の「歌舞伎町LIVE」で、「オレは嘘つきは大嫌いだ!!毛ガニは準メンバーだって悪い噂がある」と叫んだり、2005年の「みんなが好きです!!」でモニターに天使の格好で現れたりと、ムードメーカーとして大活躍している。
* ホラ吹きとして知られており、桑田が1999年のカウントダウンライブ『晴れ着 DE ポン』での『死体置場でロマンスを』の中で「野沢毛ガニ、ホラを吹くな。嘘つきは大嫌いだ」と歌ったこともある。代表的なものとして、「ディープパープル日本公演のときあまりの音圧でが潰されて、そのレリーフが日本武道館にある」「アマゾン川には体長1メートルにもなる巨大なセミがおり、人を持ち上げて飛ぶ」「アルゼンチンに100mのナマズがいる」「琵琶湖に10mのミミズがいる」(サザンのプロデビュー前から言い続けている)〔関口和之『突然ですがキリギリス』124頁、集英社文庫、1991年及び、原由子『娘心にブルースを』ソニーマガジンズ、1998年及び、1992年放送TBSテレビ特番「知ってるくせに?!」内の大森隆志、桑田佳祐の発言〕(これはライブビデオ「ホタル・カリフォルニア」収録の「赤鼻のトナカイ」の歌詞にもされている)などがある。
* サザンオールスターズや桑田佳祐のPVでは何かしら脇役として出演している。桑田のソロシングル「波乗りジョニー」のPVにも出演し、CGで合成されたまさしく『毛ガニ』として出演した。桑田が監督をつとめた映画『稲村ジェーン』のエンディングにも、ほんの一瞬ではあるが野沢の姿を確認することができる。また、「BOHBO No.5」のPVでは、演奏者ではなくこの曲のイメージキャラクター「BOHBOくん」として出演しており、最後の場面では花火となって空に打ち上げられている。このような出演に至った理由として、この作品が発売、レコーディングされた2005年は悪化した腰痛のリハビリのため音楽活動を休養しており、作品のレコーディングに満足に参加できていないためである。
サザンオールスターズの中ではメンバーの「潤滑油」のような役割も果たしており、桑田佳祐は「毛ガニがいなかったらサザンはとっくに解散している」と語っている。そういう点でもサザンオールスターズの長いキャリアを支える重要な人物である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「野沢秀行」の詳細全文を読む




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