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那覇手 : ウィキペディア日本語版
那覇手[なはて]

那覇手(なはて、ナーファディー)とは、首里手泊手と並ぶ唐手(現・空手道)の三大系統の一つである。主に琉球王国第一の商業街であり、貿易港もあった那覇(現・那覇市)に住む人々によって継承、発展した。
== 概要 ==
那覇の久米村(くにんだ)には、14世紀末、当時の福建省甫田から「閩(びん)人三十六姓」と呼ばれる人々が移住してきた。これら三十六姓の末裔は、その後の琉球王国の歴史を通じて、進貢使、通訳(通事)等の重職につくなど、中国との外交・貿易において大いに活躍した。那覇手は、これらの人々が逗留先の中国、あるいは琉球を訪れた中国人から中国武術を学び、これを独自に発展させたものであると考えられている。
那覇手はその土地柄から百姓手(ヒャクショーディー、“平民の手”という意味)とも言われ、士族が担い手だった首里手と対比されることもあるが、明治以前の那覇手は湖城(こぐすく)家など、閩人三十六姓の末裔と言われる久米村士族を中心に発展した。それゆえ、東恩納寛量以前の那覇手に限って言えば、百姓の手とも言えないのである。
那覇手の起源は、首里手などと同様、古文書類が残っていないので判然としない。湖城流の伝承では、流祖・湖城親方が1665年頃に、中国において中国拳法を学んだ後、帰国して一族に伝授したとされる。これが事実ならば、那覇手の起源は17世紀までさかのぼることになる。他の記録でも確認できるかぎりでは、湖城流の四代目、湖城以正が中国の「イワァー(偉伯)」に師事したというのが、最も古い伝承である。イワァーは、北京王宮の武官だったとも、冊封使つきの侍従武官だったともいわれるが、詳細は不明である。このイワァーからは首里手の佐久川寛賀松村宗棍も学んだとされる。
湖城家からは、他にも湖城以幸(1836年 - 1907年)や湖城大禎(1838年 - 1917年)、湖城以昌(1848年 - 1910年)といった唐手家が出ており、東恩納寛量以前の那覇手は、湖城家などを中心として久米村士族において伝承されてきたと考えられている。那覇手では、他に真栄里蘭芳(1838年 - 1904年)や新垣世璋1840年 - 1920年)などの唐手家がよく知られており、彼らは1866年、冊封使節のための祝賀会で、セーサンやスーパーリンペーなどの型を演武したことが記録に残っており、注目される。
また、宮城長順が記した「唐手道概説」(昭和11年)には、1828年(文政11年)、清朝道光8年に支那福建省の中国拳法が伝来し、それが剛柔流に継承されているとの記述があるが、この年に具体的にどういった事績があったのかは不明である。
明治以降の那覇手の使い手としては、那覇手中興の祖とも呼ばれる東恩納寛量が有名である。一説によれば、東恩納は新垣世璋に師事した後、中国に渡り中国武術の大家・ルールーコウに学んだとされる。しかし、剛柔流の型の多くは、今日東恩納の渡清以前にすでに沖縄にあったことが明らかになっており、またルールーコウという人物の実在性も今日疑問視する研究家もいる。
現在の湖城流には那覇系の形がないので那覇手は、東恩納寛量からの口承で実質的には宮城長順から始まりである。
劉衛流には、那覇系の形が含まれているので那覇系に属して良いが、湖城流は独自なので那覇系に組み込まれているのは間違いである。
どちらかといえば首里系に組み込まれるのが普通である。
久米士族がすべて那覇手ではなく、各一族により異なる拳法を継承している。したがって那覇手と大きく括るのは間違いであり、久米士族は各一族の個人手が実態である。
湖城流が那覇手に込みこまれているのは、ほとんどが藤原稜三の著作(格闘技の歴史、対談・近代空手道の歴史を語る)などからの抜粋であり、現実の湖城流には那覇系の形がない。只、湖城大禎が那覇手をやっていたと伝わっているが噂なので信憑性に欠ける話である。
今日の那覇手は、湖城流と劉衛流をのぞけば、ほとんどが東恩納寛量の系統であり、彼の弟子には宮城長順剛柔流)、許田重発東恩流)、摩文仁賢和糸東流)などがおり、今日の日本空手界の大きな一角を担っている。
下記の那覇手の系統図は、剛柔流の系統は正しいが湖城流は那覇手ではなく湖城手で単独の拳法である。
剛柔流の形は無く、首里手の形は一部あるがほとんどが独自な形で構成され組み手も独自ある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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