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遼陽会戦 : ミニ英和和英辞書
遼陽会戦[りょうようかいせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よう]
  1. (adj-na,n-adv,n) way 2. manner 3. kind 4. sort 5. appearance 6. like 7. such as 8. so as to 9. in order to 10. so that 1 1. yang 1
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
会戦 : [かいせん]
  1. (n,vs) engagement 2. battle
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

遼陽会戦 : ウィキペディア日本語版
遼陽会戦[りょうようかいせん]

遼陽会戦(りょうようかいせん)は、日本ロシア満州朝鮮半島などの権益を巡り、1904年明治37年)に勃発した日露戦争における会戦。同年8月24日から9月4日まで行われた。両軍の主力がはじめて衝突した戦いで、ロシア軍は15万8,000の兵を展開して防御網を展開し、日本軍は12万5,000の兵で、計28万の兵が衝突。鴨緑江会戦と並び、日本軍にとってははじめて近代陸軍を相手にした本格的会戦であった。
== 背景 ==
遼陽は中国東北部、遼寧省都市で、当時は人口6万のハルビンに次ぐ南満州の戦略的拠点。地理的には平野で、旅順からハルビンへ至る東清鉄道が走る交通の要衝でもあった。
日本の参謀本部では、川上操六児玉源太郎らが対露戦略を構想していた。日本軍はロシア軍がシベリア鉄道などを利用して兵力を輸送してくる以前に積極的に朝鮮半島に進出し、ロシアの主力軍が集中する以前に、短期決戦で同地を確保する作戦を立案。満州へ向かう主力戦とウラジオストクへ向かうウスリー支作戦による分進合撃を構想し、遼陽は奉天海城鉄嶺らとともに進撃目標の1つとされた。
ロシア側でも開戦以前から基本戦略が存在し、本国から兵力を輸送して遼陽付近を第一線に兵力を集中させ、ハルビンを退路に本国からの増援を待ちつつ攻勢する作戦を構想。開戦直前には陸軍大臣のアレクセイ・クロパトキンが満州軍総司令官として赴任する。
1904年2月9日、日露戦争が開戦。日本側は第12師団の仁川上陸(朝鮮への威圧的上陸)、旅順港を封鎖しての黄海の制海権確保に成功し、遼東半島からの上陸が可能になった。第3軍(乃木希典)が旅順攻略を担当し、基本戦略通りの分進作戦を実施し、第1軍黒木為楨)が朝鮮半島の大同江に上陸して5月1日鴨緑江会戦を経た後に北上。第2軍奥保鞏)は5月5日遼東半島の塩大澳に上陸、旅順要塞孤立化のための南山攻略を行った後に大連を占領、5月30日より東清鉄道に沿って北進し、得利寺、大石橋などでロシア軍と戦闘を繰り返しつつ北進する。第4軍(独立第10師団と呼ばれていたが、後に第5師団を加えて軍に編成、野津道貫大将指揮)は中間地点の大弧山から上陸し、遼陽を目指す進撃を開始、柝木城を攻略し、遼陽を包囲した。
日本側の制海権確保でロシア側は基本戦略を変更し、クロパトキンは兵力を直接遼陽へ集結させ、日本軍第一軍が迫る国境地帯の鴨緑江へも展開する。また、このほかに旅順救出の部隊を編成し、兵力を出すも現場指揮官の戦意が乏しかったため、日本軍第二軍の兵力の見誤りからに遼陽に引き揚げてしまう。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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