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豪風旭 : ミニ英和和英辞書
豪風旭[たけかぜ あきら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ごう]
 【名詞】 1. fine feathers 2. writing brush 3. a little
: [ふう, かぜ]
  1. (adj-na,n,n-suf) method 2. manner 3. way 
: [あさひ]
 (n) morning sun

豪風旭 : ウィキペディア日本語版
豪風旭[たけかぜ あきら]

豪風 旭(たけかぜ あきら、1979年6月21日 - )は、秋田県北秋田郡森吉町(現在の北秋田市)出身で尾車部屋所属の現役大相撲力士。本名は成田旭(なりた あきら)、愛称はアキラ。身長171cm、体重150kg、血液型はAB型、星座は双子座。得意技は突き、押し。最高位は西関脇2014年9月場所)〔大相撲:最年長新関脇昇進へ35歳豪風「喜びよりも責任」 毎日新聞 2014年08月09日 11時49分〕。
== 来歴 ==
中学時代まで柔道に打ち込んでいたが秋田県立金足農業高等学校時代に相撲に転向。高校時代のスパルタ指導によって柔道の癖を克服して相撲の基礎を磨いていった〔『大相撲ジャーナル』2014年2月号61頁〕。中央大学出身。大学4年生の時に全国学生相撲選手権大会で優勝して学生横綱を獲得した。同じ中央大学出身の6年先輩である出島が大関昇進を果たした頃に「たった1回の人生だから自分の好きな相撲をやろう」と角界入りを決意し、家族の反対を押し切って尾車部屋に入門した。
2002年5月に、本名の成田を四股名として幕下15枚目格付出で初土俵を踏んだ。その初土俵の場所は、2日目の1番相撲で安馬(のちの日馬富士)を破って大相撲での初白星を挙げた。その後も連勝を続け、6戦全勝で迎えた13日目の7番相撲では同じく6戦全勝の豊桜との取組が組まれたがこれに敗れた。この相撲に勝てば幕下優勝が決まり、また新十両の可能性が残るところだったが、いずれも果たせなかった。それでも翌7月場所も勝ち越して、幕下在位僅か2場所で9月場所に新十両に昇進した。この時に四股名を豪風に改めたが、これは「豪快な相撲で豪華な風が吹くように」との願いを込めて師匠の尾車が命名したものである。十両の土俵でも勝ち越しを続けて3場所で通過し、結局一度も負け越しを経験しないまま2003年3月場所に新入幕を果たした。
ところが、新入幕の場所は初日から連敗を喫し、3日目には栃乃花に対し土俵際で突き落としを辛くも決めて幕内初白星を挙げたが、その際に右膝と右足首を痛めて休場した。結局1勝3敗11休に終わり十両に転落した。9月場所に13勝2敗の好成績で十両優勝を果たし、翌場所に幕内に復帰した。その後も大勝ちはなく、ぶどう膜炎を患って十両に落ちるなど一進一退を続けたが、2006年1月場所に東前頭3枚目に番付を上げ、初めて横綱大関と総当たりする位置についた。そして千代大海魁皇の2大関を破る活躍を見せたが、最終的には4勝11敗で負け越してしまった。それでも、その後は前頭上位から中位あたりに定着するようになった。そして、2008年1月場所では、自己最高となる12勝3敗の好成績をあげて、初めての三賞となる敢闘賞を受賞した。翌3月場所は新三役小結に昇進。秋田県からの新三役は、1992年7月場所の巴富士以来。その場所では、初日から5連敗を喫するなど3勝12敗と大きく負け越して1場所で陥落となった(なお初白星は大関・琴光喜から挙げた)。2010年9月場所にも再び12勝3敗という好成績を挙げ、2回目の敢闘賞を受賞した。現在は中下位で勝ち越し→上位で負け越しという場所が続いている。
2010年8月、19代押尾川親方が退職したことに伴い、年寄名跡押尾川」を取得した。
東前頭11枚目だった2013年3月場所は9勝6敗と勝ち越し。翌5月場所も9勝6敗と勝ち越し、翌7月場所での再三役(小結)が確実だったが、東前頭5枚目で8勝7敗だった松鳳山が再三役(小結)となったため、翌7月場所は東前頭筆頭。その7月場所は右足関節靱帯損傷により10日目から休場し、現役2位だった幕内連続出場は729回で止まった〔幕内豪風が休場 右足関節痛める 〕。休場明けとなる2013年9月場所を東前頭11枚目の地位で迎え9勝6敗で終えると翌11月場所は番付運に恵まれ7枚半増の西前頭3枚目まで地位を伸ばし、そこでは千秋楽に負け越したが7勝8敗と善戦した。2014年1月場所は7日目まで5勝2敗と好調であったものの一転して8日目から14日目まで7連敗を喫したことで9敗まで後退し、千秋楽に白星を上げるも6勝9敗に終わった。
2014年7月場所9日目の日馬富士戦で、初金星を獲得した。この時点で35歳1ヶ月0日となっており、年6場所制(1958年以降)における最年長初金星の記録が達成された。同部屋の嘉風が場所4日目に日馬富士に勝って樹立した32歳3ヶ月27日の記録に触発され、見事に嘉風の後に続いた形となった〔35歳豪風、横綱日馬撃破!最年長金星 nikkansports.com 2014年7月21日20時49分〕。最終的には9勝6敗と勝ち越して、技能賞の候補にも入ったが三賞選考委員会の賛成が過半数に満たず受賞はお預けとなった〔【名古屋場所】殊勲賞に豪栄道、高安は敢闘賞 大砂嵐は勝ち越しで殊勲賞 2014年7月27日13時45分 スポーツ報知 〕。翌9月場所は新関脇。戦後最年長での新関脇昇進というスロー出世記録を作った〔新大関豪栄道は西2番目=豪風が最年長新関脇-秋場所新番付 時事ドットコム 2014年9月1日(2014年9月1日閲覧)〕。この昇進を受けた会見では尾車から「私は28歳で引退している。35歳でこれだけ勝てるのは、心から立派だと思う」と讃えられた〔新関脇の豪風「重圧と責任感でいっぱい」 nikkansports.com 2014年9月1日13時8分〕。秋田県からの新関脇は、1964年5月場所の開隆山以来。迎えた9月場所は、千秋楽に勝ち越しを懸けたが、7勝8敗に終わった〔支度部屋=大相撲秋場所千秋楽 時事ドットコム 2014/09/28-19:41〕。東小結で迎えた11月場所は2日目に初日を出したものの3日目から12連敗と大崩れし、結局場所を2勝13敗の大敗で終えた。2015年1月場所は9勝6敗と勝ち越したものの、翌3月場所は胃腸炎と左上腕二頭筋断裂に苦しみ、4勝11敗の不振に終わった。〔『大相撲ジャーナル』2015年4月号40頁ではこの怪我や病気について「でもこの苦しさは豪風を進化させる要素です」と話している。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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