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藤原泰通 : ミニ英和和英辞書
藤原泰通[ふじわら の やすみち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [たい]
 【名詞】 1. Thailand  
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

藤原泰通 : ウィキペディア日本語版
藤原泰通[ふじわら の やすみち]

藤原 泰通(ふじわら の やすみち)は平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿。正二位権大納言按察使参議藤原為通の息男。大納言藤原成通の猶子となる。母は大納言源師頼の娘。妻は四条隆季の娘、藤原教良の娘など。子には大納言に至った経通、権中納言に至った国通、朝通、広通、覚愉、寛俊、道寛、信宗、女子(藤原兼良の室)、女子(三条公氏の室)がいる。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
久寿3年(1156年)1月6日、従五位下に叙せられる〔春宮当年御給。〕。保元元年(1156年)9月17日、侍従に任ぜられる〔成通の譲りによる。〕。永暦元年(1160年)1月21日、阿波権介を兼ねる。応保元年(1161年)10月19日、左少将に任ぜられる〔同日、右少将に遷るが、28日には元のごとく左少将となるよう仰せが下る。〕。応保2年(1162年)1月5日、従五位上に昇叙。長寛2年(1164年)1月21日、美作介を兼ねる。同年11月16日、正五位下に昇叙。永万2年(1166年)1月12日、従四位下に昇叙。仁安3年(1168年)8月4日、従四位上に昇叙〔朝観行幸の際。〕。仁安4年(1169年)1月11日、伊予介を兼ねる。嘉応2年(1170年)1月5日、正四位下に昇叙〔皇嘉門院当年御給。〕。承安4年(1174年)12月1日、右中将に転任。承安5年(1175年)1月22日、伊予介を兼ね左中将に遷る。治承4年(1180年)1月28日、美作介を兼ねる。養和元年(1181年)12月4日、蔵人頭に補される。
寿永2年(1183年)1月22日、参議に任ぜられる。左中将は元の如し。同年12月22日、従三位に叙せられる。元暦元年(1184年)3月27日、讃岐権守を兼ねる。同年11月7日、近江権守に遷る。文治2年(1186年)12月15日、権中納言に任ぜられる〔この時、泰通は参議第4序列であったが、第6序列であった藤原兼光と共に上首を超えて権中納言に任ぜられた。〕。文治3年(1187年)5月25日、勅授帯剣を許される。文治5年(1189年)4月5日、正三位に昇叙。建久2年(1191年)12月28日、従二位に昇叙。建久4年(1193年)10月17日、復任する。建久6年(1195年)11月10日、中納言に転正する〔源通親が権大納言に転任したことに合わせての転正である。〕。建久8年(1197年)1月30日、正二位に昇叙。正治元年(1199年)6月22日、権大納言に転任〔同日の異動で、源通親は内大臣に、源通資は権大納言に昇進している。〕。同年12月16日、長仁親王の勅別当に補される。建仁2年(1202年)7月23日、権大納言を辞退〔息男経通を右少将から右中将に挙任するため。〕。按察使に任ぜられる。同月26日、本座を許される。承元2年(1208年)6月20日、出家。承元4年(1210年)9月20日、薨去。享年64。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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