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葺石 : ウィキペディア日本語版
葺石[ふきいし]

葺石(ふきいし)とは、主として古墳時代の墳墓の遺骸埋葬施設や墳丘を覆う外部施設の1つ〔墓本体に対し、葺石、埴輪列、濠、石垣などを古墳の外部施設あるいは外部構造と呼んでいる。葺石はとくに外表施設と呼ばれることも多い。〕で、古墳の墳丘斜面などに河原石や礫石(れきいし)を積んだり、貼りつけるように葺(ふ)いたもの。「葺き石」の表記もみられる。その祖形は弥生時代墳丘墓弥生墳丘墓)に認められる。前期古墳と中期古墳に多いが、後期は葺石をともなわない古墳が大多数をしめる。
== 概要 ==
葺石は、二段ないし三段に築成された古墳の墳丘斜面のほか、円墳の墳裾を全周するもの〔終末期古墳に多い墳丘裾部にめぐらされたものは「外護列石」と称し、通常は区別する。岩崎 (1992) p.8〕〔、また、前方後円墳の後円部・くびれ部に施されるものがあり、その箇所は一定しないが、墳丘に段築工法が採用された場合には、その各段の斜面にほどこされる場合が多い〔大塚・小林 (1982) p.362〕。その場合、それぞれの段の平坦な面は概ね土がむき出しの状態であるのに対し、斜面にはすき間なくが充填される。規模の面では、前方後円墳のうち墳丘長100メートル以下のものにあまり多くみられないのに対し、規模の大きなものは葺石をともなうケースが多い〔寺沢 (2000) p.301〕。また、関東地方以北にあっては、規模とは関係なく古墳に葺石をともなわない場合も多い〔石塚 (1992) p.63〕〔尚、関東平野に限ってみれば、この平野の主要部を占める関東ローム層から成る台地及びこれの浸食で生成した沖積平野は著しく石材に乏しく、後世の近世城郭において他の地域で石垣が普通にに使われる場面であっても佐倉城にみるように盛り土の露出したままで済ませるのが通例であった。中央政府の座として全国諸大名に軍役を課して石材を供出させて巨大な石垣を建造した江戸城は例外に類する。〕。

日本の墳墓においては、中国の墳墓に顕著にみられる版築の工法がほとんどみられない一方で、斜面を礫石などで葺いてがっしりと安定させる手法が採用されており、この工法は日本列島独自のものである〔森 (1985) p.60〕。
葺石の発生について森浩一は、1985年(昭和60年)の著作で
#外見上は高句麗積石塚のような墳墓を築くという意識や伝統の現れとみる見解
#阿波(いまの徳島県)の吉野川流域や瀬戸内海沿岸など日本の古い積石塚の分布する地域で工夫されたとする見解
の両説があることを紹介しており、後者については、古くから瀬戸内および四国地方には石工集団がおり、石に関する知識が特に豊富であったことを指摘している〔〔讃岐(いまの香川県)が古くより石文化の盛んな地であったことは、『播磨国風土記』にも、景行天皇の時代、播磨の伊保山の石工集団が讃岐の羽若から移住したという記事があることでも知られる。また、古墳時代に先行する弥生時代において石器素材として讃岐産のサヌカイトと称される安山岩石材が、交易により広く流通した前史を有する。〕。
なお、『日本書紀』と『古事記』には、箸墓古墳奈良県桜井市)の造営の際、大坂山〔箸墓古墳の石室の用材と同じ石が、古墳所在地付近の土中にふくまれており、この石は大和川左岸の芝山(大阪府柏原市)頂上付近でみられる芝山火山岩であることが判明しており、芝山は、古く「大坂」と呼ばれた地域のなかにふくまれる。森 (1986) p.235〕の石をリレー方式で運んだという説話〔『日本書紀』崇神10年9月条に以下の記載がある。〕が記されているが、このとき運ばれたのは葺石のための石材であったと考えられる〔森 (1986) p.235〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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