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緑魔子 : ミニ英和和英辞書
緑魔子[みどり まこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みどり]
 【名詞】 1. greenery 
: [ま]
 【名詞】 1. demon 2. devil 3. evil spirit evil influence 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

緑魔子 : ウィキペディア日本語版
緑魔子[みどり まこ]

緑 魔子(みどり まこ、1944年3月26日 - )は、日本の女優。夫は俳優石橋蓮司。オフィスロータス所属。
== 来歴・人物 ==
日本統治時代台湾台北市に生まれ、宮崎県児湯郡高鍋町で育つ〔。家計は貧しく高校へも中学生の家庭教師のアルバイトをしながら通った、宮崎県立宮崎大宮高等学校卒業後に上京〔。この時代には珍しく英語が流暢に話せ〔、全日本の弁論大会で優勝したこともあり、本来は大学に進学して英語を活かした仕事に就きたかったが、お金がなくて大学に行けなかったという〔。家政婦バーホステスなど、幾つかの仕事に就いた後、女優を目指すことにし〔、本名でNHK演技研究所に在籍〔〔。その後東宝ニューフェイスとして6ヶ月の研修期間が終わり、東宝のテレビ部にいたとき〔、東映映画二匹の牝犬』のヒロインを探していた同映画の監督・渡邊祐介がNETテレビ(現テレビ朝日)にタレントの写真をもらいにいった際に、ディレクターの机の上にあった緑の写真を見て、イメージに近いとカメラテストを経て『二匹の牝犬』に抜擢される〔。芸名は渡邊と岡田茂プロデューサー(のち、東映社長)に、映画の役のイメージと"という新鮮な色の魔性を秘めた女"という意味で命名された〔。本名が平凡なのでこの芸名にはビックリしたという〔。そのまま本名で出ていたら、全然違った女優になっていたかもしれないと話している〔。『二匹の牝犬』で文学座小川真由美と共演〔悪女礼讃 ~スクリーンの妖花たち|作品解説1/ラピュタ阿佐ケ谷 〕〔緑魔子伝説 - ラピュタ阿佐ヶ谷 INTRO | 特集上映『緑魔子伝説』 〕。文学座の俳優がユニット出演したことで知られる同作品に於いて〔、岡田は演技が素人同然の緑の起用に反対したといわれるが〔、勤勉な緑は先輩俳優の芝居を盗んで独自の演技力を身につけた〔。大胆なヌードも披露し映画も大ヒット〔。慌てたスタッフがバスタオルを投げて「前を隠せ」と命令したという逸話も残す〔。『悪女』を経て同年『牝』で初主演〔。強烈なオーラをスクリーンで放ち〔〔、同年のブルーリボン賞新人賞を受賞した〔。時代的に鶴田浩二高倉健主演のカラー任侠映画梅宮辰夫と緑主演のモノクロ映画夜の青春シリーズ』の二本立てでよく当たった〔〔〔。渡邊監督が緑にすっかり惚れ込んだが〔〔『夜の青春シリーズ』の『かも』(1965年)で共演した石橋蓮司と長く同棲した後1979年に入籍している〔〔〔日刊ゲンダイ|石橋蓮司 緑魔子 飛んでる2人の「未婚の母」騒動 〕。緑は専属女優として27本もの東映のプログラムピクチャーに出演した。しかし自身は、ゴダールアンナ・カリーナなどのヌーヴェルヴァーグが大好きで〔『夜の青春シリーズ』みたいな映画ばかりやらされて我慢が限界になり〔、岡田茂に「私はこういうのやりたくないんです」と訴えたら、「そんなことじゃ映画界ではやっていけないんだから、もう東映を出て映画館の切符売りにでも何でもなっちまえ!」と言われ「いいです!切符売りになります!」言い返し東映を1968年クビになる〔。この背景には当時"第二のマコ"とも評された大原麗子が順調に成長し、緑の役目はもう終わったと見られていたとされる〔。緑は「儲けるためなら芸術性も娯楽性も平然と犠牲にする製作方針。脱ぐ必要も無いのに、ただもうやたらに脱がせればよいという卑しさ、次元の低さに失望した」と岡田の作る東映のプログラムピクチャーを批判している〔。
フリーとなった1968年に増村保造監督『大悪党』(大映)、森雅之主演・谷口千吉監督『カモとねぎ』(東宝)、大島渚監督『帰って来たヨッパライ』(創造社/松竹)、市川雷蔵主演『眠狂四郎 人肌蜘蛛』(大映)、山田洋次監督『吹けば飛ぶよな男だが』(松竹)、1969年増村監督『盲獣』(大映)など〔〔La PASSIONE 増村保造×白坂依志夫の仕事/ラピュタ阿佐ケ谷 〕、巨匠監督から引っ張りだこになり、大スターとも共演し、自身曰く「人生の充実期」を迎える〔。
か細い肢体と大粒な瞳、独特の小悪魔的な甘い声と存在感で〔、1960年代から70年代にかけて数々の個性的な役柄を演じ、加賀まりこと人気を分け合った。多くの映画で共演した梅宮辰夫は「現代の愛の不毛を表現できる女優は彼女以外にはいない」と評価〔。虚ろな表情、倦怠的な雰囲気は70年代の若者の気分を先取りするもので〔、後の桃井かおり烏丸せつこら、無気力演技派女優のルーツとも評される〔。
1960年代後半からアングラヌードに傾倒し、1968年にヌード詩集『悪の華』で芸術路線を開拓〔。1970年以降は、佐藤信が主宰する演劇センター68/71(通称:黒テント)にも出演〔。
1976年に俳優の石橋蓮司と劇団「第七病棟」を立ち上げ、アングラ演劇のスターとして活躍、映画出演は数年に一本のペースとなった〔。「第七病棟」では使われなくなった建物を劇場に改造して、唐十郎山崎哲の作品を緑の主演、石橋の演出で上演している〔。
石橋とは長らく同棲生活を送り、1979年に2人の間に生まれた一人娘の小学校進学に合わせて入籍した〔〔。2012年現在は別居しているが、不仲によるものではないという〔日刊スポーツ紙 2012年10月2日掲載 石橋蓮司インタビュー。〕〔石橋蓮司 30代女性と半同居報道!緑魔子との離婚は否定 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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