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緑屋 : ミニ英和和英辞書
緑屋[みどりや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みどり]
 【名詞】 1. greenery 

緑屋 : ウィキペディア日本語版
緑屋[みどりや]

緑屋(みどりや)は、日本にかつて存在した月賦制の小売店。会社・法人格としては、商号変更を経て現在のクレディセゾンに至る。
== 概要 ==
1946年に岡本虎二郎が三軒茶屋に和洋家具専門店の岡本商店を創業〔春光懇話会事務局「エフ」No.204冬号『創業物語』、2011年〕。1951年5月1日に組織変更し、月賦百貨店株式会社緑屋を設立〔。
丸井丸興ライフアップ大丸(大丸百貨店〔通称・井門大丸。現在の井門エンタープライズおよび井門グループの前身。大阪に本店を持つ大手百貨店の大丸(下村大丸)とは無関係。〕)と共に四大月賦百貨店の一つに数えられ、最盛期は丸井をおさえ首位を占めた時期もあった。1960年には「クレジットの丸井」に対して「ホームビルの緑屋」〔Home Bill 家庭の手形の意。〕というキャッチフレーズを掲げてチェーン展開をした〔『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』P282。〕。1968年東京証券取引所一部に上場。
その後高度経済成長が進展。国民の所得水準も向上し、消費者の購買意欲も多様化する中、次第に月賦販売というビジネスモデルは陳腐化してきた〔『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』P283。〕。そうした中、緑屋は多店舗化による出店コストや金利負担の増大が経営を圧迫。また商品企画・開発の面での力不足が指摘され、徐々に業績も悪化した〔朝日新聞 1976年3月12日朝刊8面〕〔同業の丸井は駅前立地を進め、顧客対象を主に20代に絞るなどのMDを実施していた。〕。1971年には丸紅と資本提携を結び、同社が発行済み株式の13.6%を所有し筆頭株主となり、再建にあたった。しかし捗々しい成果が上がらず、再建は困難との認識に至り、丸紅は仲介者を介し西武流通グループに提携を打診した〔『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』P280。〕。そして1976年3月に西武百貨店と資本提携を締結。翌月には坂倉芳明同社社長が緑屋社長と兼務となり百貨店が再建の主体を担い〔『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』P286。〕、西友ストアー等との共同出店による営業強化を進める一方、一部の小売店は衣料品などの得意の分野の専門店に衣替えすることが検討されていた〔朝日新聞1976年3月12日朝刊8面〕。1977年1月10日には緑屋29店舗のうち、新宿、八王子、青梅、立川、柏、札幌駅前の6店舗を同年2月末までの閉鎖を発表、新規出店が計画されていた旭川を含めた残る24店舗の改装・増築で再生を図った〔朝日新聞1977年1月11日朝刊8面〕。
1980年株式会社西武クレジットへ商号を変更し総合金融業へ業態を転換〔すると同時に、本社を三軒茶屋から池袋に移転。この際に物販部門の一部は西武百貨店や西友に譲渡された。緑屋時代からの信用販売のノウハウを生かし、1982年にグループ統一カードとして「セゾンカード」の発行を開始し、1989年株式会社クレディセゾンへと商号を変更した〔。
「緑屋計算センター」は1981年に西武情報センター(1992年セゾン情報システムズに改称)に吸収合併された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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