翻訳と辞書
Words near each other
・ 納谷友一
・ 納谷和久
・ 納谷和玖
・ 納谷学
・ 納谷学+新
・ 納谷幸二
・ 納谷幸喜
・ 納谷広美
・ 納谷廣美
・ 納谷悟朗
納谷悟郎
・ 納谷新
・ 納谷真大
・ 納豆
・ 納豆あえ
・ 納豆ダイエット
・ 納豆和え
・ 納豆汁
・ 納豆菌
・ 納賀雄嗣


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

納谷悟郎 ( リダイレクト:納谷悟朗 ) : ウィキペディア日本語版
納谷悟朗[なや ごろう]

納谷 悟朗(なや ごろう、1929年11月17日 - 2013年3月5日「ルパン三世」銭形警部役 納谷悟朗さん死去 ,スポーツニッポン,2013年3月11日〕)は、日本俳優声優ナレーター舞台演出家テアトル・エコー所属。
北海道函館市出身。立命館大学法学部中退。弟は俳優・声優の納谷六朗、妻は女優・声優の火野カチ子。代表作に『ルパン三世』シリーズ(銭形警部役)がある。洋画ではクラーク・ゲーブルチャールトン・ヘストンジョン・ウェインの声の吹き替えを担当。
== 生涯 ==
幼少期に東京府(現東京都)へ移住する。学生時代に芝居の面白さを知り、1951年に劇団東童入団。役者デビューは舞台『宝島』。1955年劇団「稲の会」設立に参画。1957年劇団現代劇場。1959年熊倉一雄に誘われてテアトル・エコーに所属。
テアトル・エコー入会当時、洋画のテレビ放映の際に、新劇畑の俳優が起用されることが多く、納谷もこうした中で洋画の「アテレコ」に多用されることとなった。最初期の洋画放映でのアテレコは生放送だったため、声のタイミングを合わせるのが難しく、声がずれることはしょっちゅうだったというが、「なにしろ生放送だから証拠が残らない」ということで、特に問題にもならなかったという。「テレビドラマにも出演したが、拘束日数が長いので事務所が嫌がり、自然と声の仕事が増えた。声の吹き替えのできる俳優が少なかったので、とにかく忙しかった。現場で会わせるのは同じ顔ばかりだった」と語っている。現場にすれば「メイクも衣装も不要」で手軽な「声の出演」に対する扱いは悪く、ギャランティは通常の70%のレートだった。これは大変に不本意だったというが、忙しかったので金は稼げたという〔『緯度0大作戦DVDチャンピオンまつり短縮版』納谷のコメンタリーより〕。
ルパン三世 PartIII』放送中の1985年3月に胃潰瘍で入院し、胃腸を半分切除する手術を行う〔飯岡順一「ルパンと共に35年 第11回」『ルパン三世officialマガジン』Vol.12、2007年、p.126〕。それ以降は体力の衰えにより声が出しにくくなったという〔。その後も胃潰瘍、胃がんなどの手術を経験し、体力的に無理のない範囲で仕事を続けていた。劇団関係者によれば、80歳を過ぎて体力が少しずつ低下し、内臓だけでなく呼吸器も影響を受けていたという。
2008年の舞台公演中に体調不良を訴え俳優業を引退し、2009年に都内から千葉市に転居。その後も声優業は続け、日曜洋画劇場で2012年5月28日に収録した『インセプション』の吹き替え収録後体調を崩し入退院を繰り返していたが、2013年3月5日、慢性呼吸不全のため千葉市内の自宅で死去〔〔「銭形警部」役で人気 納谷悟朗さん死去 ,NHK,2013年3月11日〕。〔。通夜及び告別式は近親者のみで行われ、3月11日にマスコミに公表された。5月21日には恵比寿・エコー劇場でお別れの会が行われ、栗田貫一小林清志増山江威子野沢雅子山寺宏一ら声優仲間やファンおよそ300人が訪れた。また、神谷明麻上洋子井上真樹夫松井菜桜子は納谷の訃報が発表された際、自身のブログで追悼のコメントを述べている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「納谷悟朗」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.