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第一次世界大戦講和条約 : ミニ英和和英辞書
第一次世界大戦講和条約[だいいちじせかいたいせん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
第一 : [だいいち]
  1. (adv,n) first 2. foremost 3. # 1 
第一次 : [だいいちじ]
 【名詞】 1. the first .. 2. primary
第一次世界大戦 : [だいいちじせかいたいせん]
 (n) World War I
: [いち]
  1. (num) one 
一次 : [いちじ]
  1. (adj-na,n) first 2. primary 3. linear (equation) 4. first-order
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
世界大戦 : [せかいたいせん]
 【名詞】 1. the World War 
大戦 : [たいせん]
 【名詞】 1. great war 2. great battle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
講和 : [こうわ]
  1. (n,vs) peace 2. conclude peace 
講和条約 : [こうわじょうやく]
 (n) peace treaty
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
条約 : [じょうやく]
 【名詞】 1. treaty 2. pact 
: [やく]
  1. (adv,n) approximately 2. about 3. some 

第一次世界大戦講和条約 ( リダイレクト:ヴェルサイユ条約 ) : ウィキペディア日本語版
ヴェルサイユ条約[ヴぇるさいゆじょうやく]


ヴェルサイユ条約(ヴェルサイユじょうやく、)は、1919年6月28日フランスヴェルサイユで調印された、第一次世界大戦における連合国ドイツの間で締結された講和条約の通称。正文はフランス語と英語であり、正式な条約名はそれぞれ、であるが、ヴェルサイユ宮殿ので調印されたことによって、ヴェルサイユ条約と呼ばれる。日本における正式条約名は同盟及連合国ト独逸国トノ平和条約(大正9年条約第1号)。この条約および、諸講和条約によってによりもたらされた国際秩序をヴェルサイユ体制という〔三省堂大辞林』第三版〕〔ベルサイユ体制 コトバンク)〕。ヴェルサイユの表記揺れで、ベルサイユ条約やベルサイユ体制と表記することもある〔『中学社会 歴史』(教育出版株式会社。平成10年1月20日発行。文部省検定済教科書。中学校社会科用)p 228、『新しい社会 歴史』(東京書籍株式会社。平成16年2月10日発行。文部科学省検定済教科書。中学校社会科用)p 154には、「ベルサイユ条約」と記載され、『社会科 中学生の歴史』(株式会社帝国書院。平成20年1月20日発行。文部科学省検定済教科書。中学校社会科用)p 190には、「ベルサイユ条約」、「ベルサイユ体制」と記載されている。ちなみに、『日本史B 新訂版』(実教出版株式会社。平成14年1月25日発行。文部科学省検定済教科書。高等学校地理歴史科用)p 293、『詳説世界史 世界史B』(株式会社山川出版社。2004年3月5日発行。文部科学省検定済教科書。高等学校地理歴史科用)p 288には、「ヴェルサイユ条約」、「ヴェルサイユ体制」と記載されている。〕。
== 背景 ==

=== 休戦交渉と休戦協定 ===

1916年12月12日、ドイツ帝国が和平の探りを入れるために覚書を発表すると、12月18日に中立国であったアメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンは平和覚書を発表し、和平仲介を買って出た。しかしこの際は連合国の拒否に遭い、和平は実現しなかった。ウィルソンはその後も和平実現の望みを捨てず、1917年1月22日の上院演説で「国際連盟設立」、公海の自由、世界規模の民主化、ポーランドの自由化を求め、公正な「勝利無き講和」を訴えた。その後アメリカは連合国側として参戦することになるが、ウィルソンはその後も公正な講和を唱え、1918年1月8日には「十四か条の平和原則」を発表し、公正な講和を目指す旨をアピールした。
1918年になるとドイツの敗北は明らかになり、9月29日にスパで開かれていた大本営はウィルソンに講和交渉要請を決定した。10月3日に首相となったバーデン公子マックスはアメリカに講和のための覚書を送付し、アメリカとの間で覚書交換がはじまった。この講和交渉の中でアメリカは「十四か条の平和原則」を講和条約の基礎とした上で、専制的と見られたドイツの体制変革を要求し、10月22日にバーデン公子マックスもこれを受諾した。ただしこの時点ではイギリスフランスといった連合国間での合意は行われておらず、ウィルソンは友人であった名誉大佐をパリに派遣した。ハウスはかなりの妥協と引き替えに「十四か条の平和原則」を講和の前提とする合意を取り付けた。10月27日には講和に反対するエーリヒ・ルーデンドルフ参謀次長が解任され、10月28日には首相の権限が強化された憲法改正が行われ、専制色が薄められた。
11月5日にはキール軍港で水兵の反乱が起きたが()、同日にアメリカ国務長官ロバート・ランシングから休戦条件の詳細について連合国が保障かつ強制する無制限の権力を有するという、事実上の無条件降伏に近い内容を確認する「ランシング・ノート」が送付された。11月7日にマティアス・エルツベルガー無任所相と新参謀次長ヴィルヘルム・グレーナー中将がパリ郊外のコンピエーニュの森に派遣され、連合国軍総司令官フェルディナン・フォッシュ元帥との休戦交渉を開始した。
その後首都ベルリンでも皇帝退位を求める声が高まり、11月9日にはバーデン公子マックスが首相を辞任してフリードリヒ・エーベルトが新首相となった。同日にはフィリップ・シャイデマンが独断で共和制を宣言(ドイツ革命)し、翌日には皇帝ヴィルヘルム2世がオランダに亡命した。
共和国政府を率いることになったエーベルトの臨時政府は休戦交渉を引き継ぐこととなり、エルツベルガーらに交渉の継続を命令した。交渉の末、11月11日に休戦協定が結ばれた。この休戦協定は占領地やアルザス=ロレーヌからの即時撤退を含む、抗戦継続を不可能にする大変厳しいものであったが、「十四か条の平和原則」と、1918年2月11日の「四原則」と「民族自決・無併合・無軍税・無懲罰的損害賠償」、9月27日の「五原則」を加えた「ウィルソン綱領」が将来の講和条約の原則となるとされた〔吉川、1、291-292p〕。
休戦期間は1ヶ月とされており、ドイツ側の状況によっては期限満了後に更新されないことになっていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴェルサイユ条約」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Treaty of Versailles 」があります。




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