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福永洋一 : ミニ英和和英辞書
福永洋一[ふくなが よういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 
: [いち]
  1. (num) one 

福永洋一 : ウィキペディア日本語版
福永洋一[ふくなが よういち]

福永 洋一(ふくなが よういち、1948年12月18日 - )は日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手
''※兄の福永甲、福永二三雄、福永尚武や息子の福永祐一と区別するため、本文中はとくに「洋一」と表記する。''
== 経歴 ==

=== 少年時代 ===
1948年、高知県高知市に生まれる。実家はかつて土地一帯の地主であったが、太平洋戦争後にGHQが発令した農地解放政策などにより没落し、洋一出生時には困窮を極めていた〔木村(1997/07)p.174〕。父は放蕩癖のある人物であり、1953年に母が失踪し、以降は姉により育てられた〔。その姉は公営高知競馬場所属の騎手・松岡利男と結婚し、福永家と競馬界との関係が築かれた。次いで長兄・甲(はじめ)が、中学校卒業後に日本中央競馬会・京都競馬場武平三厩舎に入門、次兄の二三雄、三男の尚武もそれぞれ公営の大井船橋で騎手となった。ひとり残った洋一はそのまま高知で父と暮らしていたが、父は1957年に脳溢血で死去。これを受け、洋一は姉が嫁いだ松岡家に身を寄せた〔木村(1997/07)pp.175-176〕。
以降の少年時代は、高知競馬場内の厩舎で手伝いをしながら過ごした。1960年に潮江中学校に入学、このころより「将来は騎手になる」という目標を口にするようになり〔木本(1985)p.36〕、中学2年の終わりごろには甲の師匠・武平三を頼って京都に移り、のちに同期生となる武永祥と桃陵中学に通った〔『優駿』1996年3月号 p.111〕。中学卒業を控えた1963年秋、永祥といっしょに日本中央競馬会馬事公苑騎手養成長期課程を受験。合格後の入所式では、平三が永祥と洋一、双方の保護者として出席した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「福永洋一」の詳細全文を読む




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