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福本豊 : ミニ英和和英辞書
福本豊[ふくもと ゆたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

福本豊 : ウィキペディア日本語版
福本豊[ふくもと ゆたか]

福本 豊(ふくもと ゆたか、1947年11月7日 - )は、大阪府大阪市生野区出身で東大阪市育ちの元プロ野球選手外野手)。
通算盗塁数の日本記録保持者(達成当時はMLB記録も超えた)で、「世界の福本」の異名を持つ。引退後はコーチを経て主に野球解説者野球評論家として活動している。
現役通算2543安打、通算208本塁打を記録した確実性とパンチ力を兼ね備えた打撃、歴代1位の通算1065盗塁と通算115三塁打を記録した俊足、主に中堅手として足を生かした広い守備範囲を誇る外野守備で、長池徳二山田久志加藤秀司らと共に阪急黄金時代の主力として活躍した。血液型はB型。
== 経歴 ==

=== プロ入り前 ===
大鉄高等学校時代は、野球部員のあまりの多さからレギュラーを諦めて球拾いに専念していた。しかし、練習中に右翼手の守備に就き内野手を務めていた選手の一塁手への送球が逸れた際に、いつもの球拾いの感覚でボールを追いかけたところ、監督に「福本はきちんとファーストのカバーに入るから偉い」と評価され、それ以降右翼手のレギュラーに指名された。の高校3年生夏に、第47回全国高等学校野球選手権大会出場を果たす。同校は夏の甲子園初出場であった。1回戦では、この大会で4強入りした秋田高校と対戦するが、延長13回裏、福本と二塁手が打球をお見合いしてしまい、サヨナラ負けを喫した〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。1年下のチームメートには、高橋二三男(元西鉄ロッテ、外野手)がいた。
卒業後は社会人野球松下電器(現・パナソニック)に進む。俊足が武器であったため、監督に「広瀬叔功になれ」と言われ、当時の広瀬の背番号である12を背中に付けて広瀬をよく観戦しにいったという。福本は後年に「広瀬さんは神様やもん。プロに入ってからもそれは一緒よ。相変わらず雲の上の存在やった」と語っている〔『別冊宝島』1517号「プロ野球情念の天敵対決」2008年 宝島社 p87-p88〕。
1年目のから外野手のレギュラーを獲得。同年の都市対抗に二番打者として出場し、三塁打を放つなど活躍。社会人3年目のには、松下電器同僚の加藤秀司(後の英司)・岡田光雄(元近鉄)と共に富士製鐵広畑の補強選手として都市対抗に出場。決勝で電電関東を降しチームを優勝に導く〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕。同年の社会人ベストナインのタイトルを獲得したが、福本は「アマチュア時代は注目の選手ではない」と語っている。
同年秋のドラフト会議で、阪急ブレーブスに7位指名を受けた。入団当時の背番号は「40」〔この年のドラフトは「史上空前の豊作ドラフト」と言われている。その中でも阪急は1位山田久志・2位加藤秀司・福本と、後の名球会入り選手を3人も獲得したため、最も成功した球団とされる。〕。なお、阪急ブレーブス以外に、南海ホークスも、早くから福本の俊足に注目していた。しかし168cmの小柄な身長がネックとなり、監督の鶴岡一人に獲得を却下されていた。
プロ入りのきっかけは、松下電器時代既にアマチュア野球のスター選手だった後輩の加藤を目当てに来たスカウトの目に留まったことだった。試合でスカウトが来ている時に本塁打を打ったり、都市対抗野球でホームへ好返球をしたりする(ドラフト同期の山田が福本の名を知ったのはこのプレーだという)等のプレーが認められたものだった。これについて、福本は「たまたまあのときだけ、一番いいプレーが出たんや」と語っている〔『阪急ブレーブス黄金の歴史 よみがえる勇者の記憶』(ベースボール・マガジン社)における山田との対談より〕。さらにスカウトに「君はもう少し背があればねえ」と言われたことに対し、相手がスカウトと知らずに一喝したことが「プロ向きのいい根性を持っている」と勘違いされ、これも指名される要因になったのではないかと述べている〔「走らんかい!」第2章「ヘタやから、うまくなれた」より〕。
本人はドラフトで指名されたことを全く知らず、翌朝会社の先輩がスポーツ新聞を読んでいるのを見て「なんかおもろいこと載ってまっか?」と尋ねたところ、「おもろいことってお前、指名されとるがな」と言われ、そこで初めて自分が指名されたことを知ったという。しかし、ドラフト指名後も阪急から連絡がないまま数日が過ぎたため、同僚も本人も何かの間違いではないかと疑う始末だった。その後ようやく獲得の挨拶に来た阪急の球団職員から肉料理をご馳走され、「プロなったらこんなにおいしい肉が食えるのか!」と思ったものの、様々な理由から態度を保留していたが、そうしているうちに何度も食事に誘ってもらったため断りにくくなってしまったという。結局、4回目の食事の時に入団を決意した。
入団時、福本の父親は他球団の系列の食堂で働いていたが、息子の入団に際して阪急への恩を感じたため、その職場を退職した。また福本夫人は野球に一切興味がなく、夫が野球選手であることも知らなかったが、福本も夫人に「松下から阪急に転職する」としか説明していなかったため、夫人は夫が阪急電鉄の駅員であると思っていた。ある時夫人が各駅を探し回っているうちに、駅員から「もしや、あなたの探しているのは盗塁王の福本では?」と尋ねられ、そこで初めて自分の夫がプロ野球選手であるという事実に気が付いたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「福本豊」の詳細全文を読む




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