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社会科学の哲学 : ミニ英和和英辞書
社会科学の哲学[しゃかいかがくのてつがく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)
社会 : [しゃかい]
 【名詞】 1. society 2. public 
社会科 : [しゃかいか]
 【名詞】 1. social studies 
社会科学 : [しゃかいかがく]
 【名詞】 1. social science 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
: [か]
  1. (n,n-suf) department 2. section 
科学 : [かがく]
 【名詞】 1. science 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
哲学 : [てつがく]
 【名詞】 1. philosophy 

社会科学の哲学 : ウィキペディア日本語版
社会科学の哲学[しゃかいかがくのてつがく]
社会科学の哲学(しゃかいかがくのてつがく、)とは、社会科学社会学人類学政治学など)において用いられる論理や方法論を研究する分野。社会科学の哲学者の扱う問題には次のようなものがある。社会科学と自然科学の間の差異と共通性、社会現象間の因果関係、社会法則の存在の有無、構造と行為主体性の存在論的意義。
== オーギュスト・コントと実証主義 ==
コントが最初に実証主義を認識論的視点から導入したのは『実証哲学講義』においてであり、この一連のテクストは1830年から1842年にかけて発表された。1848年には『実証精神論』(英訳は1865年)の出版が続いた。『講義』の最初の3巻はすでに存在していた物理科学数学天文学物理学化学生物学)を主に扱っており、残りの2巻では社会科学の必然的到来が強調されている。科学における理論と観察の循環的関係を考察し、諸科学を分類したという実績により、コントは近代的意味における最初の科学哲学者としてみなされうる〔http://plato.stanford.edu/entries/comte/ Stanford Encyclopaedia: Auguste Comte〕。物理科学が最初に登場し、それに続き人間社会そのものを扱う困難で複雑な「諸学の女王」たる社会科学が現れ、両者を適切に接続する試みがなされるとされるが、この順序はコントによると必然的なものである。『実証精神論』はしたがって、社会学的方法論の経験的目標を詳細に定義する先駆的な書物だったのである。
コントによる社会進化の説明においては、社会は真理を探求するための3つの段階を踏み、「三段階の法則」という一般法則に則って進歩していくとされる。これはマルクスが提唱した共産主義社会を到達点とする人間社会の発展モデルにいくらか類似している。両者ともに初期空想的社会主義者のアンリ・ド・サン=シモンから強い影響を受けていたことを考えればこれは特に驚くべき事態ではない。コントは一時サン=シモンに師事していたのである。コントとマルクスは両者とも、ヨーロッパの世俗化が進む中で、宗教的信念とは無縁の新たなイデオロギーを科学的に作りあげようとしたのである
初期の社会学者であるハーバート・スペンサーはコントへの反応として登場したと言える。進化生物学の発展を受け、スペンサーは社会学を再定式化しようと(失敗することになるが)試み、現在の言葉でいうところの社会ダーウィン主義的な観点から書かれた論考を発表した(ただし、スペンサー自身はダーウィン主義ではなくラマルク主義の支持者であった)。
近代的学問分野としての社会学はエミール・デュルケム(1858–1917)とともに始まった。デュルケムはコントの哲学の大部分を否定する一方で、その方法論を受け継ぐとともに精緻化した。彼の主張によれば、社会科学とは自然科学を人間活動に適用したもので、両者には論理的連続性があり、同程度の客観性、合理性、そして因果的説明力があるとされた〔Wacquant, Loic. 1992. "Positivism." In Bottomore, Tom and William Outhwaite, ed., ''The Blackwell Dictionary of Twentieth-Century Social Thought''〕。1895年、デュルケムはボルドー大学にヨーロッパで初となる社会学科を設立した。同年、『社会学的方法の規準』(1895年)を発表し、次のように論じた〔Gianfranco Poggi (2000). ''Durkheim.'' Oxford: Oxford University Press.〕。「我々の主要な目的は、科学的合理主義を人間活動にまで拡張することである。[…]実証主義と呼ばれるものはこの合理主義からもたらされる帰結の一つにすぎない」〔Durkheim, Emile. 1895. ''The Rules of Sociological Method''. Cited in Wacquant (1992).〕。デュルケムの代表作『自殺論』(1897年)はカトリック教徒とプロテスタント信者の間の自殺率を考察するケーススタディであり、そこでは社会学的分析が心理学的・哲学的分析とは異なるものだとされた。
しかしながら、実証主義は「科学主義(scientism)」という概念と長い間混同されてきた。科学主義とは、自然科学の方法論が哲学、社会科学、その他の別を問わず、あらゆる学問分野に適用可能だとする主張である。ほとんどの社会科学者や歴史家の間で、正統的実証主義の人気が廃れて久しい。今日、社会科学・物理科学の研究者は観察者バイアスと構造的制約によって研究結果がひずみを帯びるという事態に自覚的である。この種の懐疑主義が促進されたのは、トマス・クーンのような哲学者の仕事や批判的実在論ネオプラグマティズムといった新たな哲学的運動によって科学の演繹的説明モデルが弱められてきたことによる。実証主義はまた、科学技術による社会発展の必然性を信じる「テクノクラート」たちによって擁護されてきた〔Schunk, ''Learning Theories: An Educational Perspective, 5th'', 315〕。哲学者・社会学者のユルゲン・ハーバーマスは、純粋な道具的合理性とは科学的思考法がイデオロギーそのものに似た何かへと変貌したことを意味するものだとして批判した〔Outhwaite, William, 1988 ''Habermas: Key Contemporary Thinkers'', Polity Press (Second Edition 2009), ISBN 978-0-7456-4328-1 p.68〕。
デュルケム、マルクス、ウェーバーの三者は現代の社会科学の父祖としてたびたび引用される。心理学では、ある種の実証主義が行動主義に好まれてきたという歴史がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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