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石井 好子(いしい よしこ、1922年8月4日 - 2010年7月17日 )は、日本のシャンソン歌手、エッセイスト、実業家、芸能プロモーター。日本シャンソン界の草分けであり、半世紀以上に亘り牽引し続けた業界の代表・中心人物として知られている。日本シャンソン協会初代会長。東京都出身。府立第六高女を経て、東京芸術大学声楽専科卒業。 == 来歴 == 母の勧めにより6歳からピアノを習う。大学では主としてドイツ歌曲を学んだ〔NHK『ラジオ深夜便』「母を語る」2008年6月17日〕。大学卒業後、渡辺弘とスターダスターズの専属歌手などを務めたのち、サンフランシスコでの留学を経て1952年に渡仏し、パリでシャンソン歌手としてデビュー。サンフランシスコ時代に、遊びにいったホテルのバーで偶然ジャズ界の重鎮ルイ・アームストロングと出会い、そのホテルのステージで共演したことがある。サンフランシスコでは、ジョセフィン・ベーカーとも共演している。1961年、石井音楽事務所を設立し、裏方に回る。岸洋子、芦野宏、加藤登紀子、田代美代子などのマネージメントを担当(加藤、田代は自身主催のコンクール出身である)し、隆盛を極めたがソ連の赤軍合唱団の招聘公演の失敗などから赤字がかさみ、1977年に閉鎖。その後は本格的に歌手としての活動を再開させる。1991年には日本シャンソン協会を設立し会長に就任。2002年より神戸大使を務めている。 エッセイストとしても知られ、『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』は21世紀に入っても発行されているベストセラーである。食通として知られ、『料理の鉄人』にはたびたび審査員として出演した。 晩年まで歌手・エッセイストとして活躍し、2010年7月17日、肝不全のため死去。。戒名は「彩光院慈照好音大姉」。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石井好子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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