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田村彰敏 : ミニ英和和英辞書
田村彰敏[たむら あきとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [むら]
 【名詞】 1. village 

田村彰敏 : ウィキペディア日本語版
田村彰敏[たむら あきとし]

田村 彰敏(たむら あきとし、1980年5月31日 - )は、日本男性総合格闘家兵庫県西脇市出身。総合格闘技津田沼道場所属。元修斗世界ライト級王者。
打、投、極の技術のバランスがとれたファイターである。ミャンマーの伝統的な立ち技格闘技であるラウェイの正式な大会において、外国人として初めて勝利した。
プロ格闘家として活動する傍ら、普段は理学療法士として働いている〔「田村彰敏的ファイト&ライフ」『Fight&Life』Vol.1、2007年6月21日発行、フィットネススポーツ、pp.67-69〕。
== 来歴 ==
習志野高校時代は柔道部に所属〔習志野高等学校柔友会 第40回生 習志野市立習志野高等学校柔道部公式ホームページ〕。18歳で総合格闘技の練習を始めた。
2001年4月8日、プロ修斗デビュー。
2004年7月10日、ミャンマーヤンゴンで開催されたミャンマー・ラウェイ協会主催大会で、エー・ボー・セイン(Aya Bo Sein)に顎への左膝蹴りで4R2分52秒KO勝ち。
2007年2月17日、修斗環太平洋ライト級(-65kg)王座決定戦で不死身夜天慶と対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
2007年5月18日、修斗世界ライト級チャンピオンシップでリオン武と対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
2008年3月28日、修斗世界ライト級防衛戦で門脇英基と対戦し、0-2の判定負けを喫し王座陥落した。
2008年5月3日、修斗で佐藤ルミナと対戦し、スリーパーホールドで一本勝ちを収めた。
2008年12月3日、WEC初参戦となったWEC 37でヴァグネイ・ファビアーノと対戦し、肩固めで一本負けを喫した。
2009年4月5日、バンタム級転向初戦となったWEC 40マニー・タピアと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。
2010年1月10日、WEC 46でチャーリー・ヴァレンシアと対戦し、1-2の判定負け。WEC戦績1勝2敗となりWECをリリースされた〔WECリリースと今後の鉄人 鉄人・田村彰敏 オフィシャルブログ 2010年3月24日〕。
2010年5月30日、2年ぶりの修斗復帰戦で上田将勝と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2010年10月30日、SRC初参戦となったSRC15のSRCバンタム級ASIAトーナメント2010に修斗推薦選手としてシード出場〔【SRC戦極】10・30井上学、田村彰敏、中原太陽、清水俊一がシード選手としてトーナメント参戦 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年8月30日〕。準々決勝で佐藤将光と対戦し、2-1の判定勝ちを収めた〔【SRC戦極】泉浩が石井慧との対戦をアピール!ウェルター級GP決勝は中村VS榎本 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月30日〕。12月30日、戦極 Soul of Fightで行なわれた準決勝で中原太陽と対戦し、田村の放った右インローが3度のローブローとなり反則負けとなった〔【SRC戦極】12・30日沖発がフェザー級王座獲得!交流戦はSRCが勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月30日〕。
2014年5月11日、初参戦となったパンクラスで宮路智之と対戦し、3-0の判定勝ち。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田村彰敏」の詳細全文を読む




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