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玉木愛子 : ミニ英和和英辞書
玉木愛子[たまきあいこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [あい]
  【名詞】 love 
愛子 : [いとしご]
 (n) beloved dear child
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

玉木愛子 : ウィキペディア日本語版
玉木愛子[たまきあいこ]
玉木愛子(たまきあいこ、1887年 - 1969年)。ハンセン病に罹患、熊本の回春病院に入院、後国立療養所長島愛生園に転園した。脚の切断、失明にも関わらず、俳句に精進した。
==略歴==
〔玉木
1887年12月28日。大阪・島の内の材木問屋に生まれる。後に妹、弟が生まれる。家庭は裕福で、幼い頃より、踊り、琴、三味線を習う。1892年らいの兆候が出現するも進行が遅く目立たなかった。1899年、女学校の検診でらいを宣告され、退学。人目をさけて自宅での療養生活に入る。1919年 妹、弟たちの結婚の支障になるのを恐れ、熊本のハンナ・リデルが創立した私立ハンセン病病院の回春病院に進んで入院。1921年キリスト教に受洗。1924年、この頃、福岡市の生の松原で療養している西村瞳女を知り、文通を通じて俳句に興味を持つ。1929年、病状が悪化し、右足を切断(熊本大学外科部長により)。1933年種々の理由により、熊本を去り、長島愛生園に移る。1935年、僚友柴水と結婚。1937年。失明。回春病院に入院していた瞳女の影響もあり、俳句にかけるようになる。婦長なども加わり、婦人句会「かりん句会」も誕生。1948年。戦争により中断していたホトトギスへの投句を再開。注目を浴びる。高浜虚子の知遇を得る。1955年。自伝「この命ある限り」を出版。1969年。死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「玉木愛子」の詳細全文を読む




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