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熊本バンド : ミニ英和和英辞書
熊本バンド[くまもとばんど]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くま]
 【名詞】 1. bear (animal) 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

熊本バンド : ウィキペディア日本語版
熊本バンド[くまもとばんど]

熊本バンド(くまもとバンド)は、札幌バンド横浜バンドと並んで日本の明治プロテスタント派の3つの源流の1つである。花岡山バンドともいう。花岡山山頂には、熊本バンド結成の地として、昭和40年に記念碑がたてられて、奉教の碑と呼ばれている。なお、毎年1月30日には、記念早天祈祷会が開かれている。
== 歴史 ==
1871年熊本洋学校が設立された。招かれたアメリカ人教師L.L.ジェーンズの信仰と情熱が青年達を動かし、多数の入信者を産んだ。ジェーンズは平信徒であったので、長崎在住の宣教師と相談の上、洗礼の礼典を行った。ジェーンズの教育方針は、道義的国家の確立のために、神の信仰に生きる自主的な個人を形成することにあった。こうした教育観が、士族の子として生まれながら、藩制の解体で忠誠の対象を失った青年達に、新しい目標を与えた。
1876年(明治9年)1月30日〔熊本YMCA p.10〕(29日説もある〔熊本YMCA p.11〕)、洋学校の生徒35名は熊本城花岡山で集会を開催し、賛美歌を歌い黙祷と聖書朗読を捧げた後、「奉教趣意書」に誓約した〔。こうした契約によって結ばれた人々をバンドと称した。この趣意書は「遂にこの教を皇国に布き、大に人民の蒙昧を開かんと欲す。」〔とあるように、個人的な誓約や教会形成を意識したものというよりは、キリスト教と国家との関係を意識した宗教国家樹立を宣言〔したものであった。
洋学校は1876年に閉鎖されたが、宮川経輝金森通倫横井時雄小崎弘道吉田作弥海老名弾正徳富蘇峰ら青年達の多くは、新設間もない同志社英学校に転校し、同志社の大きな位置を占めるようになっていく。
熊本バンドは、ジョーンズの影響により、リベラル(自由主義神学)で、国家主義的であった。彼らは1880年代にドイツから流入してきたリベラル神学の影響を受け、日本組合基督教会教職者になったので、日本の会衆派教会はリベラルが主流派になった〔中村敏『日本キリスト教宣教史』いのちのことば社〕。
熊本バンド出身者は後に牧師、教職、官公吏、政治家などになった。また、日本のYMCA設立にも関与し、小崎弘道は1880年(明治13年)設立の東京YMCA初代会長に就任した。彼はYMCAの日本語訳を考える際に中国の『史書』にある「青雲の志」から「青年」という呼称を生み出した。また、原田助も1886年(明治19年)に神戸YMCA会長に就いている〔熊本YMCA p.14〕。
1997年(平成9年)5月2日小崎弘道の孫にあたる岩村信二が熊本バンドの「子孫の会」をホテルオークラで開催した。宮川経輝、海老名弾正、徳富蘇峰、吉田作弥ら16名の子孫48名が参加した〔岩村信二『古今東西デキゴトロジー』日本基督教団出版局、2001年、pp.95‐96〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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