翻訳と辞書
Words near each other
・ 湯屋
・ 湯屋敦子
・ 湯屋温泉
・ 湯屋番
・ 湯山せいか
・ 湯山勇
・ 湯山城
・ 湯山城駅
・ 湯山大一郎
・ 湯山学
湯山宗昌
・ 湯山敦紀
・ 湯山昭
・ 湯山村
・ 湯山池
・ 湯山玲子
・ 湯山町
・ 湯山町 (高浜市)
・ 湯山発電所
・ 湯山製作所


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

湯山宗昌 : ミニ英和和英辞書
湯山宗昌[ゆやま むねまさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ゆ]
 【名詞】 1. hot water 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

湯山宗昌 : ウィキペディア日本語版
湯山宗昌[ゆやま むねまさ]
湯山 宗昌(ゆやま むねまさ、天文11年(1542年) - 文禄3年(1594年))は、戦国時代から安土桃山時代肥後国相良氏の武将。官位は佐渡守。父は湯山宗豊、母は玖月善女、弟は普門寺5代院主の奝然坊盛誉
==生涯==
湯山宗豊の長男として生まれ、父を継いで湯山地頭となる。天正9年(1581年)12月、相良義陽の実弟相良頼貞が、兄の死後に自らその跡を継ごうと企てて挙兵するも、深水長智に説得され取りやめ日向国に逃れたのであるが、翌天正10年(1582年)この頼貞に宗昌および実弟の盛誉法院が与して謀反を企てたと讒言される。二人には身に覚えがなく、普門寺にて謹慎に及んだのであるが、義陽の跡を継いだ相良忠房は宗昌らを成敗するよう、須木米良の黒木千右衛門を打ち手と放った。しかし、讒言は虚実と判り命令は撤回、忠房はそれを黒木らに伝えるよう犬童九助という者を使いに出したが、九助は途中の築地村(現:球磨郡あさぎり町)に私用で立ち寄った上に、その村の馬療治の家で酒を飲んだために途中で寝入ってしまう。黒木らは命令撤回を知らぬまま3月16日に普門寺を襲ったため、宗昌は日向国に逃亡、盛誉法院は殺され普門寺は焼亡した(犬童九助は責任を取って切腹)。二人の実母である玖月善女はこれを恨み、相良家を呪詛している(後述)。
その後、宗昌は相良家に帰参、文禄の役に参加するも、釜山海にて病死する。享年53。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「湯山宗昌」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.