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池田恒雄 : ミニ英和和英辞書
池田恒雄[いけだ つねお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

池田恒雄 : ウィキペディア日本語版
池田恒雄[いけだ つねお]
池田 恒雄(いけだ つねお、1911年5月3日 - 2002年2月9日)は、日本スポーツを中心としたジャーナリスト出版社経営者ベースボール・マガジン社(以下、BBM)の創立者、社長→会長である。
相撲評論家池田雅雄は実弟。作家工藤美代子、BBM現社長の池田哲雄、池田晶子は実子。スキー選手の猪谷千春は元娘婿。産経新聞記者の猪谷千香は孫。英文学者の池田雅之は甥である。
== 来歴・人物 ==
新潟県北魚沼郡小出町(現魚沼市)出身。新潟県立小千谷中学校を経て早稲田大学卒業。早大在学中の1931年に雑誌「野球界」〔1908年11月創刊の月刊誌「ベースボール」を引き継ぎ、1911年9月 - 1959年に発行していた野球雑誌。当時博文館社内の野球界社から発行していた。〕の編集に携わり、雑誌編纂や野球の魅力にとりつかれていく。1937年に同誌編集長就任。
戦後1946年4月、「ベースボールマガジン」を自身の立ち上げた恒文社から創刊し、5月編集部門としてBBMを設立した(1951年3月に株式会社化、ベースボールマガジンの発行元となる)。BBM社長を務める傍ら、記者としても活動した。1958年には「週刊ベースボール」を創刊。従来の季刊、月刊ではなく、「現場の臨場感をできるだけ早く伝える」ために週刊化に踏み切った。当時は長嶋茂雄読売ジャイアンツに入団して間もない頃(創刊号の表紙は長嶋と広岡達朗のツーショット)で、野球人気が学生野球からプロ野球へ移行していく時期だった。
故郷・新潟への強いこだわりから、恒文社からはスポーツ関連の書籍〔2000年までBBMから発行していた、主に一人の若手プロ野球選手をテーマとしたムックベースボールアルバム」も元々恒文社の発行だった。〕のほか、新潟に特化した書籍・雑誌も出版した。出身地近隣の新潟県南魚沼市(旧南魚沼郡大和町)には自ら立ち上げた財団法人池田記念財団が運営する「池田記念美術館」があり、極東ユーラシア地域との交流で得た文化・スポーツに関連するコレクションが展示されている他、南魚沼市にはBBM新潟支社も設置されている。また旧小出町出身者で構成する「東京小出会」の5代目会長を務めた。
1986年には、ソビエト連邦に野球を紹介し、国際交流に尽力した。
1989年に、雑誌記者出身者としては初めて野球殿堂入り(特別表彰)。2002年に死去した時には、星野仙一阪神タイガース監督(当時)が、「プロ野球がこれほど発展する前からずっと支えてくれた人。もっと我々は弔意を示さねばならない」とコメントを残した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「池田恒雄」の詳細全文を読む




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