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江川紹子 : ミニ英和和英辞書
江川紹子[えがわ しょうこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

江川紹子 : ウィキペディア日本語版
江川紹子[えがわ しょうこ]

江川 紹子(えがわ しょうこ、1958年8月4日 - )は、日本ジャーナリストである。東京都杉並区生まれ〔Egawa Shoko Journal: プロフィール , 江川紹子〕。
== 経歴 ==
千葉県立船橋高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒。卒業後の1982年昭和57年)から1987年(昭和62年)まで、神奈川新聞社の社会部記者として警察取材や連載企画などを担当〔。29歳で退社し、フリーライターとなる〔。
1989年平成元年)には、息子がオウム真理教に出家した母親から脱会について相談され、弁護士坂本堤を紹介する〔p11〕。その後弁護士一家が行方不明(のち一家皆殺しで発見。坂本堤弁護士一家殺害事件)となって以来、オウム真理教問題の取材に取り組む。その存在がオウムに疎まれて暗殺が計画され、未明の就寝中部屋にホスゲンガスを注入されたが、音に気づいて電灯を点けたところ犯人たちが逃げ、噴霧された量が少なくて済んだため難を逃れた(江川紹子ホスゲン襲撃事件)。
1991年には、同年年3月に法人化された幸福の科学を取材。1992年には有田芳生との共著で統一教会に関する書籍を刊行するなど、他の新宗教に対する取材も行っている〔該当業績については著作リストを参照。〕。
1995年(平成7年)、オウム真理教の取材に関して菊池寛賞を授与される〔菊池賞受賞者一覧 第26回~49回 , 文藝春秋〕。その後、週刊文春にオウム裁判のルポを連載。
2006年(平成18年)8月、麻原彰晃こと松本智津夫の四女の未成年後見人となる意向を表明した。これは教団から離れ自立したいという四女側の強い希望からであり、四女自ら江川に電子メールを送り、これを江川が承諾、翌2007年(平成19年)3月22日のさいたま家裁による決定を経て、正式に未成年後見人に就いた。しかし4ヵ月後に家出、音信不通となったことから、同年9月、後見人辞任の許可を求める申し立てをさいたま家裁に行った。理由は、江川が後見人になって以後の四女の言動から「教祖の後継者という自覚で行動している者を支援するわけにはいかない」と説明している〔。ただし、四女が2010年に出版した著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店)の中では、「四女が父を崇拝していた」というのは元信者が江川に吹き込んだ嘘であり、本人の家出などは「将来に対する不安によるもの」だとしている〕。
2010年(平成22年)11月4日、元検事前田恒彦らによる大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件を受けて設置された検察の在り方検討会議委員に就任。直前には村木厚子の手記をまとめた『私は泣かない、屈さない』が文藝春秋10月号に掲載され、『私は屈しない〜特捜検察と戦った女性官僚と家族の465日』としてドラマ化もされた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「江川紹子」の詳細全文を読む




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