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民衆十字軍 : ミニ英和和英辞書
民衆十字軍[みんしゅうじゅうじぐん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たみ]
 【名詞】 1. nation 2. people 
民衆 : [みんしゅう]
 【名詞】 1. people 2. populace 3. masses 
: [しゅう]
 【名詞】 1. masses 2. great number 3. the people 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
十字 : [じゅうじ]
  1. (adj-na,n) cross 2. crossed 3. cruciform 
十字軍 : [じゅうじぐん]
 【名詞】 1. Crusades 2. Crusaders
: [じ, あざな]
 【名詞】 1. character 2. hand-writing 
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 

民衆十字軍 : ウィキペディア日本語版
民衆十字軍[みんしゅうじゅうじぐん]

民衆十字軍(みんしゅうじゅうじぐん、People's Crusade)または農民十字軍(のうみんじゅうじぐん、Peasants' Crusade)、庶民十字軍(しょみんじゅうじぐん、貧者十字軍、Paupers' Crusade)は、第1回十字軍の一部として1096年に起こった西ヨーロッパの庶民たちによる大規模な聖地巡礼運動。
初期の十字軍では、諸侯や騎士らによる軍事行動と、社会の熱狂で生まれた巡礼運動は不可分であり、十字軍部隊には武器を持たない群集多数も付き従っていた。中には諸侯に従わない民衆らによる巡礼団が勝手に出発することもしばしばだった。十字軍末期にも少年十字軍羊飼い十字軍などさまざまな民衆十字軍が登場しているが、この時期はすでに社会一般の巡礼熱も冷め諸侯らも巻き込んだ運動とはなりえなかった。
この項では1096年の4月から10月に起きた民衆十字軍について記述する。北フランスで遊説した修道僧・隠者ピエール(Pierre l'Ermite)と騎士ゴーティエ・サンザヴォワール(Gautier Sans-Avoir、無一文のゴーティエ)に率いられてフランスを出た一行は小アジアにまで達したがルーム・セルジューク朝の軍に破れほぼ全滅し、わずかな生き残りのみが第1回十字軍に合流できた。
== 背景 ==
ローマ教皇ウルバヌス2世1095年11月にクレルモン教会会議で聖地への軍の派遣を訴え、瞬く間に熱狂が西ヨーロッパを覆った。教皇が当初考えていた南フランス諸侯による軍の出発日は聖母被昇天の祭日である翌1096年8月15日であったが、その数ヶ月も前に、民衆や下級騎士らによる自発的で想定外の軍勢がエルサレムへ出発した。
11世紀は中世の温暖期にさしかかり、人口や農業生産が増加しており、人々は移住や開墾や下克上などでその力を発散させ、きっかけさえあれば爆発が起こる状態だった。一方で庶民らは数年前から旱魃飢饉疫病に苦しんでおり、中には苦境からの逃避と救いを求めて巡礼に参加した者もあった。また1095年初頭には流星雨オーロラ月食彗星といった天体現象が起きており、こうしたものも天からの祝福として庶民を刺激していた。同じころにライ麦などの麦角菌が引き起こす麦角中毒も蔓延し、麦角中毒の流行後は贖罪や転地療養としての巡礼が流行しやすい状態だった。新たな千年紀の始まりである11世紀初期に高まった千年王国への待望もこの時期復活しつつあった。こうした状況が、ウルバヌス2世の期待していた数千人規模の騎士による遠征というものを大きく超え、4万人の大移住団へと拡大する。その多くは未熟な戦士で、女性や子供も多かった。
これを精神的に主導したのが、カリスマ性の高く熱心な説教師でもあるアミアン隠者ピエールであった。彼はロバにまたがり質素な服を着て、北フランスからフランドルまでの広範囲を精力的に十字軍への参加を説いて回った。ピエールはキリスト本人が目の前に現れ説教をするよう命じられたと主張し、彼の追随者の中には十字軍を考えたのはウルバヌス2世ではなくピエールであると主張する者もいた。
後年の民衆十字軍に対するイメージでは、彼らは無知で無能な農民の集団で、どこを通過しているかも分からず、途中で街を見るごとにエルサレムだと思い込んだというものがある。しかし参加者が庶民と呼ばれたのは聖職者や諸侯に対しての庶民という意味であり、中には中小の土地所有者など富裕な者や下級聖職者も参加しており、兵士の経験のないものばかりでなく騎士たちも参加していた。十字軍に関する年代記を残したシャルトルのフーシェや、「無産公」あるいは「文無し」の異名で知られる主も家臣もいない下級騎士ゴーティエも参加者であった。また当時はエルサレム巡礼の盛んな時期で(ピエール自身も十字軍以前にエルサレムへ巡礼した経験があるという説がある)、エルサレムへの距離や位置を誰も知らなかったというのは誇張であろう。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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