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植芝盛平 : ミニ英和和英辞書
植芝盛平[うえしば もりへい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しば]
 【名詞】 1. lawn 2. sod 3. turf 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

植芝盛平 : ウィキペディア日本語版
植芝盛平[うえしば もりへい]

植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年明治16年)12月14日 - 1969年昭和44年)4月26日)は、日本武道家。合気道の創始者。合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称される。
== 概説 ==
和歌山県田辺の富裕な農家に生まれた。大東流を初めとする柔術剣術など各武術の修行成果を、大本教神道などの研究から得た独自の精神哲学で纏めなおし、『和合』、『万有愛護』等を理念とする合気道を創始した。
身長156cmながら大相撲力士を投げ飛ばすなど幾つもの武勇伝が有り、また老境に至っても多くの“神技”を示し「不世出の達人」と謳われた。太平洋戦争大東亜戦争)中は軍部に有用性を認められ、陸軍憲兵学校海軍大学校などで武術指導を行う。
終戦後息子で後継者の植芝吉祥丸と共に合気道の社会普及に務めた。合気道は日本国内だけでなく世界的に大きく広まり、柔道空手道などに次ぐ国際的武道に育った〔「世界に広がる合気道」(公益財団法人合気会) 。1986年に公益財団法人合気会傘下の国際合気道連盟(IAF)が、GAISF(各国際競技団体連合)に正会員として加盟。1989年には「第3回ワールドゲームズ大会」(西ドイツ、カールスルーエ市)に初参加した。合気道の沿革ダウンロード - 合気会 ,公益財団法人 合気会 - 日本ワールドゲームズ協会 〕。盛平の功績は社会的に高く評価され、紫綬褒章勲三等瑞宝章などを受賞〔『植芝盛平伝』313-315頁)〕した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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