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植田謙吉 : ミニ英和和英辞書
植田謙吉[うえだ けんきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 

植田謙吉 : ウィキペディア日本語版
植田謙吉[うえだ けんきち]

植田 謙吉(うえだ けんきち、1875年(明治8年)3月8日 - 1962年(昭和37年)9月11日)は、日本陸軍軍人陸士10期陸大21期陸軍大将正三位勲一等功三級『官報』1941年12月15日 敍任及辭令 〕。
== 経歴 ==
大阪府出身。陸軍軍吏、植田謙八の二男として生れる。北野中学校東京高等商業学校(現一橋大学)を経て、1898年(明治31年)11月、陸軍士官学校(10期)を卒業し、翌年6月、騎兵少尉任官。陸士生徒隊附、騎兵監部員などを経て、1909年(明治42年)12月、陸軍大学校(21期)を卒業。第18師団参謀第16師団参謀、陸軍省軍務局課員、参謀本部附(欧州出張)などを歴任。シベリア出兵に際しては、浦塩派遣軍参謀として出征した。
教育総監部附、騎兵第1連隊長などを経て、1923年(大正12年)8月、陸軍少将に進級。航空部附、騎兵第3旅団長、軍馬補充部本部長などを歴任し、1928年(昭和3年)8月、陸軍中将に進級した。支那駐屯軍司令官を務めた後、第9師団長在任中、第一次上海事変により出動。停戦交渉中の1932年(昭和7年)4月29日、上海天長節爆弾事件により左脚を失った。
参謀本部付、参謀次長朝鮮軍司令官などを歴任。1934年(昭和9年)11月、陸軍大将に進み、軍事参議官を務めた後、関東軍司令官兼駐満大使となり、在任中にノモンハン事件が発生。停戦後にその責めを負うかたちで1939年(昭和14年)12月に予備役編入となった。
のち、戦友団体連合会会長、日本郷友連盟会長を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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