翻訳と辞書
Words near each other
・ 東映テレビプロダクション
・ 東映テレビ・プロダクション
・ 東映テレビ映画
・ 東映ニューフェイス
・ 東映ニューフェース
・ 東映ヒーローネット
・ 東映ヒーローワールド
・ 東映ビデオ
・ 東映ピラニア軍団
・ 東映フライヤーズ
東映ポルノ
・ 東映マネージメント
・ 東映メタルヒーローシリーズ
・ 東映ラボテック
・ 東映ラボ・テック
・ 東映ロボットガールズ
・ 東映不思議コメディーシリーズ
・ 東映京都
・ 東映京都テレビプロ
・ 東映京都テレビプロダクション


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

東映ポルノ : ミニ英和和英辞書
東映ポルノ[とうえいぽるの]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 

東映ポルノ : ウィキペディア日本語版
東映ポルノ[とうえいぽるの]
東映ポルノとは、日本の大手映画会社である東映1960年代後半から製作を開始したエロティックな映画の総称。"日活ロマンポルノ"ほど、日本の映画史に於いて定着した名称といえないが、この名称で説明している。"東映ポルノ"という言葉は多くの文献で使われている〔#水滸伝、162、223-225頁〕〔#Hotwax2、20頁〕〔#秘宝20118、45-47頁(暴力とセックスはあたりまえ!ヤクザ、スケバン、ハレンチ!「東映不良性感度映画」を特集-映画秘宝 )〕〔#セクシーD、239、245、267頁〕〔第29回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)公式サイト 完全保存版美女優69人「伝説の本気濡れ場」誌上再現 vol.1 。1999年に杉作J太郎と植地毅がこれらのエロ映画と、エロ要素を含んだバイオレンス&アクション映画を"東映ピンキー・バイオレンス"と名付け『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』という書を出した。これ以降、この"東映ピンキー・バイオレンス"という言葉でこれらを紹介することもある〔東映ピンキー&バイオレンス映画再ブーム! 鈴木則文監督独占インタビュー 〕。『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』の中でも"東映ポルノ"という言葉が何度も使われている〔#ピンキー、3、5、26頁〕。製作の始まりは1967年頃、終了は東映を含めた大手映画会社が一本立て興行に移行した1970年代の終わりと見られる。"ポルノ"という言葉は、この"東映ポルノ"から生まれた言葉である〔ポルノ女優第一号を創った男たち/春日太一 - 筑摩書房 PR誌 セクシー女優のあの興奮をもう一度! | アサ芸プラス 日刊ゲンダイ|プレイバック芸能スキャンダル史 池玲子 2度の逮捕で一時活動休止した元祖ポルノ女優 〕〔#ゲリラ、8-31、220-221頁〕〔#藤木、21-25頁〕。その他、"東映ポルノ"は多くの先駆的業績を生んでいる。
== 概要 ==
"東映ポルノ"の仕掛け人は、東映任侠映画と同様〔歴史|東映株式会社〔任侠・実録〕 東映任俠映画を生み出した名監督・名プロデューサーたち - 隔週刊 東映任侠映画傑作DVDコレクション - DeAGOSTINI 鶴田浩二、健さん、文太育てた岡田茂さん - 日刊スポーツ 、()東映キネマ旬報 2011年夏号 Vol.17 | 電子ブックポータルサイト 4-7頁 『私と東映』 x 沢島忠&吉田達トークイベント(第1回 / 全2回) 〕〔#活動屋人生、35頁〕〔#風雲、105-107、118-135、144頁〕当時の東映取締役兼京都撮影所所長・岡田茂プロデューサー(のち、同社社長)である#映画人、122頁〕〔#仁義沈没、112-115頁〕〔#任侠、227-228頁〕『私と東映』 x 中島貞夫監督 (第5回 / 全5回) - Facebook 東映キネマ旬報 2011年夏号 Vol.17 | 電子ブックポータルサイト 〕。エロティック路線の映画は、キワモノとして大手の映画会社も現実には早くから作っていたが〔#全史、31頁〕1960年代初めから倒産した新東宝とその関連プロなどがより刺激性の高い作品を次々と製作・配給した〔#佐藤吉田、166頁〕〔#水滸伝、45頁〕。これら"エロ映画"といっていたジャンルの呼称は、一定のファンを集めて市場が形成されると"ピンク映画"という名前で定着していった〔〔#水滸伝、35頁〕。"任侠路線"に続く鉱脈を探していた岡田はこれに目を付け〔#二階堂、155-158頁〕1966年「男の世界の覗き見」が任侠映画なら、今度は「女の世界を覗き見る」という発想から"エロ映画"の製作を決め〔#仁義沈没、112-116頁〕〔〔#私の30年、150-151頁〕企画課長・翁長孝雄を呼び『』や『尼寺(秘)物語』といった「マル秘シリーズ」を自らの発案で仕掛けていく〔〔#悪趣味邦画、96-99、276-280頁〕〔#遊撃、113頁〕『私と東映』 x 中島貞夫監督 (第3回 / 全5回) - Facebook 春日太一『仁義なき日本沈没―東宝vs.東映の戦後サバイバル 〕。岡田はこれ以前にも東映東京撮影所(以下、東撮)所長時代の1963年佐久間良子主演で『五番町夕霧楼』や〔#水滸伝、34頁〕〔日本映画界のドン、岡田茂さんの葬儀 雨の中、仲村トオル、北大路欣也、佐久間良子らが見送る 〕〔東映カレンダー on Twitter: "2012年2月15日の日本経済新聞 佐久間良子(女優) - BSジャパン 昭和の銀幕に輝くヒロイン 佐久間良子スペシャル/ラピュタ阿佐ヶ谷 (私の履歴書)佐久間良子 (12) 人生の師 温かい助言で殻を破る 主役に抜てき、「実力派」へ 1964年小川真由美緑魔子主演で『二匹の牝犬』(渡邊祐介監督)を#遊撃、67-70頁〕、東映京都撮影所(以下、京撮)に戻った同年に中島貞夫に『くノ一忍法』〔#クロニクル、218-211頁〕〔#遊撃、61頁、京都2012 新進気鋭の監督たち - 第8回 京都映画祭 、〕1966年には"文芸エロ路線"と称し『四畳半物語 娼婦しの』(成澤昌茂監督)〔四畳半物語 娼婦しの/東映チャンネル といったエロティシズム要素を含んだ映画を撮らせており、既にその萌芽が見られていた〔〔#戦う、183頁〕〔『私と東映』 x 中島貞夫監督 (第2回 / 全5回) 私と東映』 x 中島貞夫監督 (第3回 / 全5回) 『私と東映』 x 中島貞夫監督 (第5回 / 全5回) 岡田茂追悼上映『あゝ同期の桜』中島貞夫トークショー(第1回 / 全3回) 〕。川本三郎は『二匹の牝犬』を東映ポルノの先鞭を付けた映画と評価している〔#アナーキー、117頁〕。この時期の東映は任侠映画以外は全く当たらなかったが〔#テレビ映画25年、1頁〕『大奥(秘)物語|大奥物語』が大ヒットしたことで岡田はメジャー会社初の「エロ映画」量産に舵を切った〔。"東映ポルノ"は、後述する石井輝男監督の『徳川女系図』(1968年)から、とする文献が多いが、『大奥物語』の脚本・掛札昌裕が「岡田さんの意向でエロスの要素を強調した。これがいわゆる東映のエロ路線のハシリ」と話しているため、『大奥物語』(1967年)から説明する〔#Hotwax8、40-44頁「掛札昌裕インタビュー」〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東映ポルノ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.