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東尾修 : ミニ英和和英辞書
東尾修[ひがしお おさむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 

東尾修 : ウィキペディア日本語版
東尾修[ひがしお おさむ]

東尾 修(ひがしお おさむ、1950年5月18日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手投手)、監督野球解説者日本プロ野球名球会理事。愛称は「トンビ」(東尾の音読み)。
1968年に西鉄ライオンズに入団。以降、太平洋・クラウン・西武と、ライオンズ一筋にプレーした。1970年代から1980年代のパ・リーグを代表する投手であり、同年代の山田久志(阪急)、村田兆治(ロッテ)、鈴木啓示(近鉄)らとしのぎを削った。1995年から2001年までは西武ライオンズの監督を務め、1997・1998年の2年連続でパ・リーグを制した。
長女はプロゴルファー東尾理子。娘婿は石田純一。また、いとこに歌手の青山和子がいる。
== 来歴・人物 ==

=== プロ入りまで ===
京都の平安高校に合格し、すでに下宿先など京都での生活準備が進んでいたが、その評判を聞いた和歌山県立箕島高等学校野球部監督の尾藤公が直々に口説き、同校に入学。エース、四番打者として秋季近畿大会決勝に進出、平安高池田信夫と投げ合うが敗退。準優勝にとどまるが、春の選抜への出場を決める。箕島高は甲子園初出場であった。同大会では準決勝まで進むが、優勝した大宮工に逆転負けを喫する。同年夏の甲子園県予選では2回戦で星林高に敗れた。尾藤は後に甲子園で4回優勝(春3回、夏1回)という実績を残したが、「この年(1968年)のチームが最強であり、優勝できなかったのは自分自身の経験不足のため」と語っている。
1968年のドラフト会議西鉄ライオンズから1位指名を受ける(全体の12番目)。ドラフト前には他の球団から何らかの接触があり、中には1位指名をほのめかした球団もあったというが、西鉄からの指名は事前に何の接触も無い唐突なものだったため、東尾の両親は「東京や大阪のチームならともかく、離れ小島みたいな九州のチームに息子を入れるわけにはいかない」として西鉄への入団に猛反対、指名を拒否して大学へ進学することを勧めた。東尾自身も西鉄の一方的な指名に腹を立て、一時は法政大学への進学を決めかけていた。しかし、「西鉄もプロのチーム。そのプロが1位指名してくれた」と思い直し、両親を説得して西鉄に入団した。東尾は後に、「1位指名だったからこそ入団した。西鉄は1位指名によって僕のプライドを守ってくれた。1位指名でなければ西鉄に入団しなかった」と語っている(しかし、自身の著書『ケンカ投法』では「2位でも入っていたし、3位でも入っていたかもしれない」と語っている)〔『江川になれなかった男たち』p.115-116〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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