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東京銀行 : ミニ英和和英辞書
東京銀行[とうきょうぎんこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東京 : [とうきょう]
 【名詞】 1. Tokyo (current capital of Japan) 
: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
: [ぎん, しろがね]
 【名詞】 1. (1) silver 2. silver coin 3. silver paint
銀行 : [ぎんこう]
 【名詞】 1. bank 
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 

東京銀行 : ウィキペディア日本語版
東京銀行[とうきょうぎんこう]

株式会社東京銀行(とうきょうぎんこう、英称:''The Bank of Tokyo, Ltd.'')は、かつて存在した日本銀行。略称は東銀(とうぎん)、自行内や金融業界内では英語名を略してBOT(ビー・オー・ティー)と呼ぶこともあった。コーポレートカラー
1996年(平成8年)4月1日三菱銀行と合併し東京三菱銀行となった。三菱東京UFJ銀行の前身の一つ。
== 概略 ==
設立は1946年(昭和21年)。初代頭取は濱口雄彦。実質的前身は、戦前における特殊銀行・横浜正金銀行普通銀行として新規に発足したが、閉鎖機関に指定された横浜正金銀行の資産を引き継いでの開業であった。1954年(昭和29年)公布の外国為替銀行法に基づき、日本で唯一の外国為替銀行(いわゆる「外国為替専門銀行」のこと。略称「為専」)となったが、便宜上都市銀行として扱われ、BANCSにも参加していた。
本店は東京都中央区日本橋本石町一丁目にあった。この場所はかつての横浜正金銀行東京支店の位置であるが、日本銀行本店のすぐ隣りでもあり、この銀行が通常の商業銀行とは違う、かつての特殊銀行であったことを伺わせる。
外国為替銀行法に基づく外国為替銀行という性格上、貿易に直接関係のない業務は認められないため、外国為替銀行の認可をうけるにあたっては、半数近くの支店を閉鎖した〔昭和30年版通商白書によると、国内45店から24店に整理された。〕〔1991年(平成3年)時点の店舗数は東京都20、その他国内13、海外52であった。〕。しかし、後にはその制約から円資金の調達に支障をきたしたため、日本興業銀行日本長期信用銀行日本債券信用銀行農林中央金庫商工組合中央金庫などと並んで金融債(3年物の利付金融債「リットー」「ハイジャンプ」や、1年物の割引金融債「ワリトー」が主力商品)を発行することが許可されるに至った。普通銀行であり金融債を発行していなかった三菱銀行との合併に際して、6年間のみ継続発行が認められた。2002年(平成14年)、当該期間終了に伴い、東京三菱銀行は金融債の発行を終了した。
また上記のことから、1954年(昭和29年)の時点で保有していた店舗のなかには、第一銀行三井銀行大和銀行〔現在のりそな銀行熊本支店は旧大和銀行店舗であるが、もともとは1954年(昭和29年)に当行から譲り受けた店舗である(現在の三菱東京UFJ銀行熊本支店は三菱銀行熊本支店を前身とする)。〕などの他銀行への営業譲渡されたものもある(ただし、その後、譲渡先の近隣店等への店舗統廃合等で廃止となった店舗もある。譲渡店と同地域に再出店するケースも見受けられた〔その例として、初代渋谷支店は三井銀行に営業譲渡された(当時、三井銀行には渋谷支店は存在したが、同店譲受と共に廃止となり同店に統合されたが、同店は、譲渡後三井銀行渋谷支店と名乗っていたため、一般には移転と捉えられていた)。さくら銀行渋谷支店を経て現在は、三井住友銀行渋谷支店となっている。2代目渋谷支店は、東京三菱銀行発足に伴い同行の渋谷明治通支店となり、現在は三菱東京UFJ銀行渋谷明治通支店となっている。〕)。
金融債CMキャラクターとして、15代目片岡仁左衛門(当時は片岡孝夫)と、その長女で宝塚歌劇団に所属していた汐風幸を起用していた時期がある。当初は汐風幸単独で、後に親子共演となった。
比較的、旧大蔵省の影響力が強く、元大蔵省財務官の柏木雄介を頭取(のち会長)として迎えるなど、人的つながりも強く見られた(もっとも、柏木雄介の父は、横浜正金銀行の頭取を務めていたという縁もある)。合併時の会長であり、現在も東銀由来の国際通貨研究所の理事長を務める行天豊雄も元財務官である。
1970年代までは、主に日系企業の海外進出の支援や国外でのシンジケート・ローン等に強みを発揮していたが、1980年代に入ると中南米向けの不良債権がその体力を急速に衰えさせ、外国為替業務の独占も既に崩れており、その優位性と存在意義は最早ゆるぎないものではなくなっていた。実際、1990年代にかけ、他行との合併の噂が浮かんでは消え、「引く手あまたの花嫁候補」などと報道されていたこともある〔『ビッグコミック増刊』1993年8月23日号掲載の『ゴルゴ13』『BEST BANK』には、三菱銀行をモデルとする、四菱グループの一員「四菱銀行」と、東京銀行をモデルとする、国際業務に強みを持つ「東亜銀行」の合併に関連してゴルゴ13が暗躍するエピソードが描かれている(リイド社単行本版・第89巻に表題作として掲載されている)。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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