翻訳と辞書
Words near each other
・ 朝総連
・ 朝緑冨五郎
・ 朝縄
・ 朝美村
・ 朝美絢
・ 朝羽高校
・ 朝羽高等学校
・ 朝聯
・ 朝臣
・ 朝興貴祐貴
朝若佐太郎
・ 朝菜いるみ
・ 朝菜きり
・ 朝菜町駅
・ 朝融王
・ 朝融王妃知子女王
・ 朝衡
・ 朝要分
・ 朝見
・ 朝見優香


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

朝若佐太郎 : ミニ英和和英辞書
朝若佐太郎[あさわか さたろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
: [さ]
 【名詞】 1. help 

朝若佐太郎 : ウィキペディア日本語版
朝若佐太郎[あさわか さたろう]
朝若 佐太郎(あさわか さたろう、1923年1月8日-1969年11月25日)は、愛媛県松山市西垣生町出身で、高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は中矢 悟(なかや さとし)。最高位は東前頭21枚目(1950年5月場所)。現役時代の体格は168cm、101kg。得意手は左四つ、寄り。
== 来歴・人物 ==
15歳の時に上京し、同郷の元大関朝潮が率いる高砂部屋へ入門1939年1月場所で初土俵を踏んだ。
身長170cmに満たない短身で、体重も100kg前後と軽量であったが、そうした体のハンディを克服して順調に出世。
1946年11月場所で新十両に昇進し、以後、暫くはこの地位で一進一退を繰り返した。だが、次第に十両上位でも好成績を残せるようになり、1950年5月場所にて新入幕を果たした。
左四つからの寄りという、正攻法の取り口が身上であった。しかし、新入幕の場所では体力不足や体の小ささもあって苦戦し、4勝11敗と大きく負け越して1場所で十両へ陥落。
その後再入幕を目指すも叶わず、最後は幕下12枚目まで番付を落として1952年1月場所後、29歳で引退した。
引退後は年寄高田川を襲名し、相撲協会では勝負検査役などを務めたという。
同部屋の後輩で、後に大関へ栄進する前の山と養子縁組を結んでいた時期があった。
1969年11月25日、病により46歳の若さで逝去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「朝若佐太郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.