翻訳と辞書
Words near each other
・ 有楽町線
・ 有楽町線新線
・ 有楽町電気ビル
・ 有楽町電気ビルヂング
・ 有楽町音楽室
・ 有楽町音楽室コハ・ラ・スマートのオールナイトニッポンR
・ 有楽町駅
・ 有楽製菓
・ 有楽齋
・ 有様
有樂齋
・ 有標
・ 有権者
・ 有権解釈
・ 有機
・ 有機-無機複合体
・ 有機EL
・ 有機ELディスプレイ
・ 有機EL照明
・ 有機JAS


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

有樂齋 : ミニ英和和英辞書
有樂齋[う, ゆう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [う, ゆう]
  1. (n,vs) possession 

有樂齋 ( リダイレクト:織田長益 ) : ウィキペディア日本語版
織田長益[おだおさむえき]

織田 長益(おだ ながます)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名茶人長益系織田家嫡流初代。
織田信秀の十一男で、有楽斎如庵(うらくさいじょあん、有樂齋如庵)と号し、後世では有楽有楽斎と称される。
千利休茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられる。後には自ら茶道有楽流を創始した。また、京都建仁寺正伝院を再興し、ここに立てた茶室如庵は現在、国宝に指定されている。
== 生涯 ==

=== 信長時代 ===
織田信長の弟の一人であるが、信長とは年齢が13歳離れており、前半生の事歴はあまりわかっていない。
天正2年(1574年)、尾張国知多郡を与えられ、大草城を改修する。以降、信長の長男・織田信忠の旗下にあったと思われ、甲州征伐などに従軍している。天正9年(1581年)の京都御馬揃えでは信忠・信雄信包信孝津田信澄の後に続いている。また、天正10年(1582年)の左義長での順は信忠・信雄・長益・信包となっている。甲州征伐では木曽口から鳥居峠を攻め、木曽勢に助力して鳥居峠を攻略。降伏した深志城の受け取り役を務める。また森長可団忠正と共に上野国に出兵し、小幡氏を降伏させている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「織田長益」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Oda Nagamasu 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.