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最高中央評議会 : ミニ英和和英辞書
最高中央評議会[すぺいん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さい]
  1. (n,pref) the most 2. the extreme
最高 : [さいこう]
  1. (adj-na,n) highest 2. supreme 3. the most 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中央 : [ちゅうおう]
 【名詞】 1. centre 2. central 3. center 4. middle 
: [ひょう, こおり]
  1. (n,n-suf) (abbr) criticism 2. commentary 3. a council 
評議 : [ひょうぎ]
  1. (n,vs) conference 2. discussion 
評議会 : [ひょうぎかい]
 【名詞】 1. council 2. board of trustees
議会 : [ぎかい]
 【名詞】 1. Diet 2. congress 3. parliament 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

最高中央評議会 : ウィキペディア日本語版
最高中央評議会[すぺいん]
最高中央評議会(スペイン語 ''Junta Suprema Central y Gubernativa del Reino'', 「王国最高中央統治評議会」。訳としては他に最高委員会、中央評議会、セビーリャ・フンタなど)は、ナポレオン1世のスペイン占領期にスペインの行政権と立法権を蓄えた機関を指す。バイレンの戦いでのスペインの勝利に続いて、カスティーリャ最高法院が1808年5月にバイヨンヌで行われたカルロス4世フェルナンド7世の譲位の無効を宣言した後の1808年9月25日に設立され、1810年1月30日まで効力を有した〔 Acta del Consejo de Castilla declarando nulas renuncias de Bayona , Madrid, 11 de agosto de 1808〕。当初はフロリダブランカ伯を議長に総計35名の各地方のフンタの代議で構成され、アランフエスで第一回の会合が開かれた〔Lista de los individuos que compusieron la Junta Suprema Central Gubernativa de España e Indias, por el orden alfabético de las provincias que los nombraron. 〕。
== 起源 ==

最高中央評議会はブルボン家の退位から続く政治的混乱から生まれた。カスティーリャ最高法院も含むスペイン政府は、ナポレオンのスペイン王に兄のジョーゼフを置くという決定を当初受け入れた。しかしスペインの人々はほぼ一様にナポレオンの計画を拒否し、地方の自治体や州政府を介して反対を表明した。君主制君主と臣民との契約であることを示したフランシスコ・スアレス以来の伝統的なスペインの政治理論に即して、地方政府は自体を急場しのぎの評議会(フンタ)に移行させることで危機に対応した。
しかしこの移行はさらなる混乱を引き起こした。各地のフンタの中心となる権威が存在せず、また一部のフンタが、全体の君主制を代表するという厚かましい要求をして、それを他のほとんどのフンタが承認しなかったためである。特にセビーリャのフンタは、その地が排他的な中継貿易をしてきた歴史上の役割のために、海外植民地の領域全体に対する権威を主張した。
本土侵略中のフランスに対する取り組みをまとめ、またイギリスの援助に対応するためにも、フンタのまとまりは不可欠であることに気づき、各地のフンタは、中心となるフンタの結成を呼びかけた。各フンタと信用を失ったカスティーリャ最高法院(当初ホセ1世を支持していた)の間の一連の交渉の後に、1808年9月25日にアランフエスで開催され、フロリダブランカ伯をその議長とした〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「最高中央評議会」の詳細全文を読む




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