翻訳と辞書
Words near each other
・ 映画監督一覧
・ 映画社
・ 映画祭
・ 映画秘宝
・ 映画秘宝クラブ
・ 映画編集者
・ 映画美学校
・ 映画美術
・ 映画翻訳家協会
・ 映画脚本
映画芸術
・ 映画芸術アカデミー
・ 映画芸術協会
・ 映画芸術協同
・ 映画芸術研究所
・ 映画芸術科学アカデミー
・ 映画藝術協會
・ 映画衣裳デザイナー
・ 映画製作
・ 映画製作会社


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

映画芸術 : ミニ英和和英辞書
映画芸術[えいがげいじゅつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

映画 : [えいが]
 【名詞】 1. movie 2. film 
: [かく, が]
 【名詞】 1. stroke 
: [げい]
 【名詞】 1. art 2. accomplishment 3. performance 
芸術 : [げいじゅつ]
 【名詞】 1. (fine) art 2. the arts 
: [すべ]
 【名詞】 1. way 2. method 3. means

映画芸術 : ウィキペディア日本語版
映画芸術[えいがげいじゅつ]
映画芸術』(えいがげいじゅつ)は、日本の映画雑誌である。季刊誌。
== 概要 ==
1946年清水光が〔http://www.apdj.or.jp/kikou/ki-10.php〕、京都で〔http://westedit.exblog.jp/11506245/〕創刊する。
一度休刊している所を、1955年〔沢村貞子『老いの道づれ』(岩波現代文庫、P.84)〕、後の沢村貞子の夫であり京都・都新聞(みやこしんぶん)〔大橋恭彦『テレビ注文帖』(光文社文庫)「まえがき」より。これは東京で発行されていた都新聞とは別物。この「都新聞」は大阪毎日新聞の姉妹機として京都で創刊されたもの。〕出身の大橋恭彦が編集・発行人となって、東京で再刊〔大橋恭彦『テレビ注文帖』(光文社文庫)「まえがき」及び日外アソシエーツ人物情報〕。
なお、各種二次資料で「大橋恭彦が創刊」とされているが〔谷岡雅樹『Vシネマ魂 二千本のどしゃぶりをいつくしみ……』四谷ラウンド、1999年、p.367〕〔山本修構成・文「キネマ旬報対映画芸術 老舗映画誌はつらいよ」『別冊宝島345 雑誌狂時代!』宝島社、1997年、pp.165-167〕〔斎藤茂太骨は自分で拾えない 集英社文庫・今月の新刊ちょっと立ち読みコーナー 集英社公式サイト 内〕〔田中純一郎『日本映画発達史3 戦後映画の解放』中央公論社、1980年、p.416。〕、本人の著作と矛盾している内容である。
1963年頃の執筆陣は、吉本隆明埴谷雄高花田清輝いいだもも、斎藤龍凰、三島由紀夫武田泰淳ら。社長が大橋恭彦で、編集長が小川徹という体制で、後に映画監督となる神山征二郎がレイアウトのアルバイトで参加していた〔〔神山征二郎『生まれたら戦争だった。 映画監督神山征二郎自伝』シネ・フロント社、2008年、pp.47-48。〕。1964年には6,000部だった発行部数は、1969年末には13,000部に伸びた〔佐藤千穂「シカゴにて『映画芸術』の歴史を想う」『映画芸術』1996年春 NO.378、p.55〕。
しかし、1970年6月から経営難のためストライキが勃発して、従業員たちが経営者の大橋と対立。大橋は手を引き、発行も編集長の小川徹が行うようになった。従来の映画雑誌が取り上げなかったアングラ映画やポルノ映画も積極的に取り上げて評論するようになる。1960年代末から1970年代にかけての小川編集長時代の『映画芸術』は、佐藤重臣の『映画評論』や松田政男の『映画批評』と並ぶ存在だったが、「政治的に過ぎる」ともみなされる〔〔〔〔黒沢清『黒沢清の映画術』新潮社、2006年、p.15。〕。
商業的には低迷して、1972年8月から隔月刊化し〔田中純一郎『日本映画発達史5 映像時代の到来』中央公論社、1980年、p.382。〕、その後、季刊を経て休刊となる。休刊の際には葬式パーティーが開かれた〔〔中島貞夫著、河野真悟編『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』ワイズ出版2004年、p.140。〕。
1989年に脚本家の荒井晴彦が癌で死の直前の小川徹から引き継ぐ形で、発行人兼編集長となって、季刊誌として復刊した。執筆陣は、荒井の人脈で、田中陽造大川俊道桂千穂佐治乾神波史男など脚本家仲間が多く参加して、映画評論家から映画人に比重を移した〔。金欠のために編集スタッフは無報酬のボランティアであり、新宿ゴールデン街でクダを巻いてるような映画人の愚痴ばかりと揶揄されるような誌面作りの一方、個人雑誌の強みから、映画業界誌的な『キネマ旬報』には不可能な業界タブーを書けるとも評価されている。1997年夏には、執筆陣が大量に離反して、浅田彰鹿島徹といった学者を起用して誌面をリニューアルした〔。
発行元は、星林社、第一出版社、共立通信社出版部、映画芸術社などを変遷している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「映画芸術」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.