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日印関係 : ミニ英和和英辞書
日印関係[にちいんかんけい]
(n) Japan-India relations
===========================
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日印 : [にちいん]
 【名詞】 1. Japan and India 2. Japanese-Indian
日印関係 : [にちいんかんけい]
 (n) Japan-India relations
: [しるし, いん]
 【名詞】 1. (1) mark 2. (2) symbol 3. (3) evidence 
: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
関係 : [かんけい]
  1. (n,vs) relation 2. connection 
: [かかり]
 【名詞】 1. official 2. duty 3. person in charge 
日印関係 : ウィキペディア日本語版
日印関係[にちいんかんけい]

日印関係(にちいんかんけい)では、日本とインドの両国間の関係について述べる。
歴史を通じて、日印関係は常に強かった。仏教インドから中国を通じて日本に伝わり、その後何世紀にもわたり、インドと日本は文化的な交流を続けてきた。第二次世界大戦中、大日本帝国陸軍イギリス軍との戦いで、スバス・チャンドラ・ボース率いるインド国民軍とともに戦った。インドは、2005年から日本のODAの最大の受益国の一つである。インドと日本は双方の歴史における困難な時期において、お互いを支えあってきた。〔
両国はインドの独立後も良好な政治的関係を保っている。ソニートヨタ自動車ホンダなどの日系企業はインドに製造施設を持っており、インド経済の発展により、インドは日本の企業にとって大きな市場となっている。実際、日系企業の数社はインドに投資した最初の企業であった。インドに最初に投資をした最大の日系企業はインド政府との合弁企業であり、インド最大の自動車会社であるマルチ・スズキを設立した巨大な自動車企業スズキであった。
2006年12月、マンモハン・シン首相はついに日本を訪問し、「日印戦略的グローバルパートナーシップに向けた共同声明」に調印した。日本はデリー・メトロをはじめとするインドの多くのインフラ建設計画のための資金を援助した。2006年から開始されたインド人の外国語青年招致事業の志望者は歓迎され、2006年の開始には当初1人しかなかった応募枠は2007年には41人に拡大された。2007年にはまた、海上自衛隊インド海軍オーストラリアシンガポールアメリカ合衆国とともに行ったインド洋での合同軍事演習に参加した。2007年は「日印交流年」が宣言された年でもあった。〔
== 歴史的関係 ==

日本とインドの文化的交流は6世紀に仏教が日本に伝わったことから始まった。736年、インドの僧侶菩提僊那は仏教を広めるために来日し、東大寺の大仏の開眼供養会の導師をつとめ、〔 760年に亡くなるまでそのまま日本にとどまった。仏教と仏教に密接に結び付いたインド文化は日本文化に大きな影響を与え、それは今日でも感じられ、両国の自然観の親和に結び付いた。
仏教によって結びつけられたインドと日本は、両国の僧侶や学者がしばしば互いの国を目指して航海の旅に出た。インドの仏教僧は8世紀より日本を訪れてきた。現在は破壊されてしまったインドのナーランダにある古い学院の記録には、日本から来た学者と弟子のことが書かれている。 日本からインド亜大陸への渡航者で最も有名な者の一人は、古代の日本におけるインドの名称である天竺にちなんで名づけられた天竺徳兵衛である。
両国間の文化的交流は双方の民話において多くの類例を生み出した。空想説話である漫画アニメの作品のような現代の大衆文化はこの民話に基づいており、ときには双方の共通の神(デーヴァ)や悪魔(阿修羅)、哲学的概念と関係があることもある。例えば、インドの女神サラスヴァティーは日本では弁財天として知られる。ブラフマーは「梵天」、ヤマは「閻魔」として知られ、また伝統的な仏教寺院の一部でもある。さらに、仏教の影響が普遍的にみられる両国の社会は、現在の世界の他の国においては一神教が多いのとは対照的で、アニミズムの宗教である神道と同様、ヒンドゥー教にもアニミズムの要素がみられる。ヒンドゥー教と仏教で使われている古典的な言語であるサンスクリット語は、日本に移り住んだ古代中国の僧侶によって伝えられ今でも用いられており、またインドでは既に用いられていないのにも拘らず、梵字は今でも使用されている。また、日本の寺院の入り口にある鳥居は、インドの寺院の入り口にあるトラナと関係があるかもしれないと考えられていた。
16世紀、日本はポルトガル領となったインドと政治的関係を築いた。当時の日本人はポルトガル人はインドからやってきて、キリスト教は新しいインド人の信仰になったのだと考えた。これらの誤った憶説はインドの都市ゴアがポルトガルの東インド会社の中心的な拠点になっていたことと、ポルトガル船に乗っていた膨大な数のインド人乗員がキリスト教徒になっていたためであった。16世紀から17世紀にかけて、インド人の船員はポルトガル船、後の18、19世紀にはイギリス船の乗員として頻繁に日本を訪れた。
1596年にキリスト教徒の迫害が始まると、日本の多くのキリスト教徒はポルトガルの植民地だったインドのゴアに逃れた。17世紀の初めまでには、ゴアには日本人の取引商やポルトガル人によって買われたり捕えられたりした日本人によるコミュニティーができあがっていた。
両国の関係はその頃から続いているが、直接的な交流が始まったのは日本が近代化の過程に入った明治時代(1968年-1912年)からに過ぎなかった。1903年には日印協会が設立された。20世紀中ごろには、共に「黄金時代」を迎えた両国の映画を通じたさらなる文化的交流が起こった。サタジット・レイグル・ダットラジニカーントの映画は日本の映画に影響を与え、黒澤明小津安二郎清水崇の映画は同様にインドの映画に影響を与えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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