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施無畏寺 : ミニ英和和英辞書
施無畏寺[せむいじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [む]
 【名詞】 1. nothing 2. naught 3. nought 4. nil 5. zero
: [てら]
 【名詞】 1. temple 

施無畏寺 : ウィキペディア日本語版
施無畏寺[せむいじ]

施無畏寺(せむいじ)は、和歌山県有田郡湯浅町にある真言宗御室派の寺院。山号は補陀落山。明恵上人ゆかりの寺として知られる。
==歴史==
湯浅は、中世を通じて在田郡一帯に勢力をふるった湯浅氏一党の根拠地であった湯浅荘の故地である。白山峰山麓にある施無畏寺の寺地は、湯浅宗重の孫景基らを中心とする檀越が寄進したものである〔。景基らに落慶法要の導師として招請された〔明恵鎌倉時代初期における戒律復興の中心人物であった〔が、白上峰山上は若年の明恵が草庵を結んだ修行の地であるだけでなく、明恵自身も母が湯浅氏の出身〔で、宗重の甥であった〔。明恵のこの地での修行は2、3年であったが、その宗教形成における大きな転機をなしたとみられているほか、高山寺所蔵の仏眼仏母像には「紀州山中乞者敬白」の自署がある〔。
施無畏寺文書には建立の際の寄進状が収められている〔。その外題には、紀州にやって来た明恵を導師に迎えて落慶供養を行った日付として寛喜3年(1231年)4月17日が記されており、殺生禁断の誓いとともに、湯浅一門47名と、明恵および景基が連署している〔。同状には、藤原姓以外に源姓や紀姓も見られ、婚姻関係を通じた湯浅氏一族の拡大の様子を伝え〔、一族の団結を願う「郡内一家」「一家同心」の誓いの言葉が記されている〔〔。湯浅氏一門は崇仏を背景に施無畏寺を要として団結を図ったため、施無畏寺は繁栄し〔、その後も室町時代後期まで湯浅氏からの土地の寄進の記録が施無畏寺文書に見られる〔。
最盛期には明王院上坊・地蔵院峯坊・多聞院向坊・釈迦院中坊・不動院谷坊・観音院大門坊の6坊を従えたが、明王院・地蔵院を除いて近世には退転した。紀伊続風土記には鎮守として春日社の名が見える〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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