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斎藤瀏 : ミニ英和和英辞書
斎藤瀏[さいとう りゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

斎藤瀏 : ウィキペディア日本語版
斎藤瀏[さいとう りゅう]
斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年4月16日 - 1953年7月5日)は、日本の陸軍軍人歌人。同じく歌人の斎藤史は長女。
== 生涯 ==
長野県北安曇郡七貴村(現・安曇野市)に旧松本藩士・三宅政明の四男として生まれる。既に帰農していたため、士族籍ではなく平民籍であった。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を経て1904年陸軍士官学校(12期)卒業。同期に杉山元小磯國昭香椎浩平らがいる。旧制中学時代に医師で漢学者の斎藤順の養子となった。
1904年に日露戦争に陸軍中尉として従軍、この時短歌の道を志して佐佐木信綱に手紙を送り、教えを請うた。翌年に負傷して帰国し、金鵄勲章を授与される。1909年陸軍大学校(21期)卒業。同期に寺内寿一中村孝太郎、香椎浩平らがいる。竹柏会の歌誌『心の花』で佐々木に師事。1927年陸軍少将。歩兵第11旅団長として1928年山東出兵に参加、済南事件で革命軍と交戦した罪で待命1930年予備役となる。1936年二・二六事件で反乱軍を援助して禁固5年の刑となり、入獄。官位勲功を剥奪される。収監された陸軍衛戍刑務所では家族ぐるみで親交があった栗原安秀と共に刑に服した。
1938年に出獄した後は、軍国主義イデオローグとして活躍する一方で、歌人として『短歌人』を創刊、主宰した。1942年に発表された愛国百人一首の選定委員の一人として名を連ねている。1945年、北安曇郡池田町に疎開。戦後は歌集と共に二・二六事件の回想録などを発表した。
1953年長野市の史の家で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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