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教塚古墳 : ミニ英和和英辞書
教塚古墳[きょうづかこふん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つか]
 【名詞】 1. mound 
: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
古墳 : [こふん]
 【名詞】 1. ancient (mound) tomb 

教塚古墳 : ウィキペディア日本語版
教塚古墳[きょうづかこふん]
教塚古墳(きょうづかこふん)は、日本の古墳時代、5世紀または6世紀に現在の宮城県仙台市太白区泉崎1丁目にあった古墳である。早くから削られて不明な点が多いが、直径20メートル以上で、埴輪が置かれた。1985年に残存部の一部が発掘調査された。
== 立地・構造・遺物 ==
教塚古墳は、仙台平野を流れる名取川の左岸(北岸)に弥生時代から水田が広がる富沢遺跡山口遺跡の中にある。周辺の北から北西にかけては丘陵の縁にそって裏町古墳など直径20から50メートル規模の古墳が、北東か南東方向には低地中には五反田古墳大野田古墳群など中小の古墳が多数築かれた。
調査時までに墳丘がかなり破壊されていたため、正確な大きさは不明だが、発見された周溝の曲がりから、直径20メートルから約40メートルと推定される〔渡辺誠「教塚古墳」(『仙台平野の遺跡群 V 昭和60年度発掘調査報告書』)33頁は、検出された周湟から約40メートルと仮定すると、残存部との差が大きすぎるとしている。仙台市のサイトにある「教塚古墳 」の解説では、20メートル以上とする。〕。高さは1メートル以上だが不明である。
1985年の発掘では、残存墳丘の中央を探ったが、主体部は見つからなかった。墳丘の外側に溝があり、発掘調査報告書はこれを周溝としたが、これを別の溝とみて周溝なしとする見方もある〔仙台市教育委員会文化財課「教塚古墳 」〕。
円筒または朝顔形の埴輪があったが、形象埴輪はなかったようである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「教塚古墳」の詳細全文を読む




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