翻訳と辞書
Words near each other
・ 戴琳
・ 戴白
・ 戴相竜
・ 戴秉国
・ 戴立忍
・ 戴笠
・ 戴耀廷
・ 戴若思
・ 戴茜
・ 戴逵
戴邈
・ 戴雅堂一僊
・ 戴震
・ 戴高美
・ 戵
・ 戶
・ 戶部
・ 户
・ 户部
・ 戸


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

戴邈 : ミニ英和和英辞書
戴邈[たい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たい]
 【名詞】 1. crowned with 2. receiving

戴邈 ( リダイレクト:戴バク ) : ウィキペディア日本語版
戴バク[たい]

戴邈(たい ばく、生没年不詳)は、中国晋代官僚学者は望之。本貫広陵郡
== 経歴 ==
会稽郡太守の戴昌の子として生まれた。若くして学問を好み、とくに『史記』や『漢書』に詳しかった。弱冠にして秀才に挙げられ、まもなく太子洗馬に転じ、西陽国内史に任じられて出向した。永嘉年間、琅邪王司馬睿に召し出されて邵陵国内史を代行し、丞相軍諮祭酒をつとめ、征南軍司として出向した。学校を立てて、礼学を興すよう司馬睿に上疏して聞き入れられた。
321年大興4年)、劉隗に代わって丹陽尹となった。322年永昌元年)、王敦が反乱を起こすと、戴邈は左将軍の号を加えられた。王敦が官軍に大勝すると、兄の戴淵が殺害され、戴邈も連座して免官された。王敦の死後、尚書僕射に任じられた。後に在官のまま死去した。衛将軍の位を追贈された。は穆といった。著述は文集5巻が編纂された。
子の戴謐が後を嗣ぎ、義興郡太守や大司農を歴任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「戴バク」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.