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慈胤法親王 : ミニ英和和英辞書
慈胤法親王[じいんほっしんのう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じ]
 【名詞】 1. love 2. affection (for) 3. pity 
: [たね]
 【名詞】 1. issue 2. offspring 3. paternal blood
: [ほう]
  1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) 
親王 : [しんのう]
 【名詞】 1. prince of royal blood 2. Imperial prince
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

慈胤法親王 : ウィキペディア日本語版
慈胤法親王[じいんほっしんのう]
慈胤法親王(じいんほっしんのう、元和3年3月13日1617年4月18日)- 元禄12年12月2日1700年1月21日))は、江戸時代前期から中期にかけての法親王。父は後陽成天皇。母は土佐局中山親子。幼名は清宮。俗名は幸勝。法院号は常修院。
== 略歴 ==
1629年寛永6年)親王宣下をうけ、翌1630年(寛永7年)得度している。承快法親王のあとを受けて、梶井門跡三千院)を継いでいる。その後1642年(寛永19年)・1650年慶安3年)・1655年明暦元年)と三度にわたって天台座主に任じられた。そのほか茶道や書・和歌に秀でていた。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「慈胤法親王」の詳細全文を読む




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