翻訳と辞書
Words near each other
・ 御
・ 御かぞくさま御いっこう
・ 御とそ
・ 御の字
・ 御ませ
・ 御一家
・ 御一家衆
・ 御一新
・ 御一門
・ 御七日御修法
御三卿
・ 御三家
・ 御三家 (学校)
・ 御三戸
・ 御三階櫓
・ 御上
・ 御上人林廃寺跡
・ 御上家
・ 御上神社
・ 御下がり


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

御三卿 : ミニ英和和英辞書
御三卿[ごさんきょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご, お, おん, み]
  1. (pref) honourable 2. honorable 
: [み]
  1. (num) three 
: [けい, きょう]
 【名詞】 1. lord 2. state minister 

御三卿 : ウィキペディア日本語版
御三卿[ごさんきょう]

御三卿(ごさんきょう)は、江戸時代中期に徳川氏の一族から分立した大名家である。以下の三家を指す。
# 田安徳川家(田安家) - 始祖は徳川宗武(第8代将軍徳川吉宗の次男)
# 一橋徳川家(一橋家) - 始祖は徳川宗尹(第8代将軍徳川吉宗の四男)
# 清水徳川家(清水家) - 始祖は徳川重好(第9代将軍徳川家重の次男)
徳川将軍家に後嗣がない際に将軍の後継者を提供する役割を担った。また、徳川御三家へ後継者を供給することにもなった。
== 沿革 ==
第8代将軍徳川吉宗が次男・宗武、三男・宗尹を取り立てて別家を立てたのが御三卿の起こりである。さらに、吉宗の長男で第9代将軍となった徳川家重が、自身の次男・重好を別家として取り立てたことで、三家の体制が確立した。家格徳川御三家に次ぐ。ただし吉宗は当初子供を大名の養子へ出す構想を持っていた。
三家の当主は、公卿である従三位に昇り、長官)に任ぜられる例であったから「御三卿」といった。各初代当主のうち、宗武が従三位右衛門督、宗尹が従三位刑部卿に任官したことにより2人を「両卿」と呼ぶようになり、さらに重好が従三位宮内卿に任じられて加わり「御三卿」が成立した。は徳川(本姓源氏)であり、田安・一橋・清水の通称は、それぞれの屋敷地が所在する江戸城内の最も近い城門の名称に由来する。
第8代将軍徳川吉宗(紀州藩第5代藩主)が田安家・一橋家を創設した意図は、以降、将軍家に後嗣がないときは御三家および御三卿から適当な者を選定することとされた。実際、第11代将軍徳川家斉と第15代将軍徳川慶喜が一橋徳川家から、田安徳川家から徳川家達が、それぞれ徳川宗家を相続している。
江戸時代を通して将軍の家族・身内扱いであったが、明治維新後は新政府よりそれぞれ独立した一家として認められた。明治17年(1885年)の華族令により、3家がそれぞれ伯爵を受爵している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「御三卿」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.