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後藤勇吉 : ミニ英和和英辞書
後藤勇吉[ごとう ゆうきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [のち]
  1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [ゆう]
 【名詞】 1. bravery 2. courage 3. heroism 

後藤勇吉 : ウィキペディア日本語版
後藤勇吉[ごとう ゆうきち]
後藤 勇吉(ごとう ゆうきち、1896年明治29年)11月12日 - 1928年昭和3年)2月29日)は、日本の航空黎明期の民間パイロット。一等操縦士・一等飛行士免許取得、航空機による旅客輸送、日本一周飛行などにおいて日本初を成し遂げた。太平洋横断無着陸飛行計画の訓練中に墜落死した。
== 生涯 ==

=== 生い立ちと初飛行 ===
1896年明治29年)、宮崎県延岡市南町で裕福な商家の四男に生まれる。幼少期より機械に関心を持ち、宮崎県立延岡中学校(現:宮崎県立延岡高等学校)に入るころには蒸気機関つきの精米機や、水上自転車を製作した〔後藤勇吉|宮崎県郷土先覚者 - 宮崎県〕〔後藤 勇吉 - 延岡観光協会〕。航空機に関心を持つようになったのもこの頃という〔。
1914年(大正3年)、延岡中学校卒業後に上京、三井物産の自動車部門(ヤナセの前身)で無給の工員として働くが、飛行士白戸栄之助に出会い、その助手となる。1916年(大正5年)、複葉水上飛行機・白戸式「巌号」とともに延岡に帰り、東臼杵郡門川町の海岸〔宮崎県郷土先覚者 では「尾末海岸」、延岡観光協会 では「加草海岸」としている。〕において独力で飛行訓練を行い、試行錯誤の末に直線飛行に成功した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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