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後深草院弁内侍 : ミニ英和和英辞書
後深草院弁内侍[のち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [のち]
  1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future 
: [くさ]
 【名詞】 1. grass 
: [べん]
  1. (n,n-suf) speech 2. dialect 3. braid 4. petal 5. valve 6. discrimination 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
内侍 : [ないし, ないじ]
 【名詞】 1. maid of honor 2. maid of honour
: [さむらい]
 【名詞】 1. Samurai 2. warrior 

後深草院弁内侍 ( リダイレクト:弁内侍 ) : ウィキペディア日本語版
弁内侍[べんのないし]

弁内侍(べんのないし、生没年不詳)は、鎌倉時代初期に活躍した歌人である。『弁内侍日記』の作者。女房三十六歌仙の一人。藤原信実の娘。藻壁門院少将の妹、後深草院少将内侍の姉。後深草院弁内侍(ごふかくさいん の べんのないし)とも呼ばれた。
== 経歴 ==
1243年(寛元元年)8月、後嵯峨天皇の皇子久仁親王は生後2ヶ月で東宮となるが、その3ヶ月後には既に春宮弁と名乗って出仕している〔。1246年寛元4年、東宮の即位に伴い内侍となり、妹少将内侍とともに幼帝に仕える。1259年(正元元年)の譲位とともに職を退いた。『弁内侍日記』にはその前半期にあたる1246年(寛元4年)1月から1252年(建長4年)10月までの記事がある。『続後撰和歌集』以降の勅撰集歌合等に作品を残している。従二位法性寺雅平との間に女子(新陽明門院中納言、参議実永室〔)をもうけ、1265年(文永2年)妹の死に際して出家した〔。晩年は叡山の麓の仰木の山里にて生涯を送った〔。1276年(建治2年)の『現存三十六人詩歌』に、姉の藻壁門院少将と共に名前を挙げられており〔、かつ姉の追悼のための和歌を依頼しており〔、姉より長く生きたことがわかる。実材母として知られる女性との間で、1277年(建治3年)頃の歌の贈答が確認できる〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「弁内侍」の詳細全文を読む




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